日本唯一の機甲師団である第七師団。
2年に一度、第七師団戦車射撃競技会が行われる。
たまにFVもこの射撃競技会に出たりもする。
しかし、戦車乗員の祭典とも言えなくもない機甲科職種で戦車乗りにとっては晴れの舞台だ。
第七師団隷下の第七十一戦車連隊、第七十二戦車連隊、第七十三戦車連隊、第七偵察隊(陸自偵察隊で唯一戦車が配備されている)の各戦車部隊に北部方面隊隷下の第二戦車連隊、第五戦車隊、第十一戦車隊も参加する。
10年前よりかなり減った戦車部隊と戦車・・・・・。
戦車はどんどん日本から減っているのが現状である。
こんなに大規模な戦車射撃競技会は北海道でしか見られない。
北部方面隊戦車射撃競技会の次に規模の大きな戦車射撃競技会である。
来年は北部方面戦車射撃競技会と第七師団戦車射撃競技会と交互に行われる。
私が十一戦車大隊に居た頃は大隊長室の前に「北部方面隊機甲戦技競技会優勝」の盾が飾られていたが、どうもこの機構戦技競技会と戦車射撃競技会を混同して「長い伝統のある競技会」と紹介されていたりするが古い隊員にしたら全くの別物という。
私の伯父の一人(私の一族はなぜか自衛隊に入隊した者は全員機甲科で叔父・伯父も機甲科であった)もこの競技会に最初から参加して誇らしく後輩の私に語っていた。
ヨーロッパで行われている国際的な戦車の競技会のように戦車射撃は課目の一部でいろんな競技が含まれていたのが機甲戦技競技会だったと聞く。
戦車は射撃だけじゃないからね。
ロシアで行われる戦車の競技会も射撃だけでなく戦車の操縦だったり重機関銃射撃であったり、弾薬の積載からやっているからね。
昔の戦車射撃の話って今と違ってとても面白い。
61式戦車時代の射撃は今のように戦車射撃場に停弾堤が無かったから・・・いやこんな貴重な話はここでは書いてはいけないね。
私が死ぬ前に戦車の本を書かせてくれたところに書かせてもらいますよ(笑)