M32 "6連リボルバー" グレネードランチャー (ダネルMGL) 訓練 | 戦車兵のブログ

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グレネードランチャー、日本語では擲弾発射器は、擲弾を発射するための火器。

 

通常、口径20mm以上の火器は砲として扱われるが、擲弾発射器は運用上・形態上などの問題から小火器として扱われることが多い。

 

擲弾発射器の歴史は、フリントロック式のマスケット銃の時代まで遡る。

 

 

当時、手榴弾の投擲を担当する兵科として擲弾兵があったが、攻城戦の場合、人力では投擲距離が足りないことが多かったため、専用の発射器が開発された。

 

これは小銃の口径を拡大し、手榴弾を装填できるようにしたもので、小銃弾よりも遥かに重い手榴弾(擲弾)を発射する圧力に耐えられるように、銃身を思い切って短縮するかわりに火砲並みの分厚いものとなった。

 

この極端に短い銃身により初速はかなり遅くなったが、これにより、擲弾は放物線を描いて飛翔することになり、防壁越しの射撃には適することから、一時期ヨーロッパでは多用された。

 

しかし低初速ゆえの命中精度の低さが問題になり、戦闘形態の近代化が進むにつれて使われなくなっていった。

 

 

 

 

第一次世界大戦で西部戦線が構築されると、敵の塹壕に手榴弾(擲弾)を投射する必要から、再び擲弾発射器が注目されることになった。

 

このときには、フリントロック式発射器と同様の発想で、小銃の銃口部にカップ型の発射機を装備して、ここに手榴弾を入れて空砲で射出するもののほか、手榴弾に丸棒をつけて銃口に差し込んで空砲で射出するものなどが開発された。

 

ただし、特に小銃を使用して投射する小銃擲弾は、大重量の擲弾を射出する必要から、通常よりも薬室圧力が上昇するため反動が激しく、肩付け射撃ができないため射撃精度が低く、また小銃本体の消耗も激しいという問題があり、戦間期には、ドイツ国防軍の5 cm leGrW 36や大日本帝国陸軍の八九式重擲弾筒、イギリス陸軍のSBML 2インチ迫撃砲のように、専用の小型迫撃砲が志向されることになった。

 

 

 

イタリアではカルカノ小銃用にM28「トロンボンチーノ」が開発され、これは小銃の右側面に発射器を外付けするアドオン式擲弾発射器であったが、この方式が他国でも普及するには、後世のM203 グレネードランチャーの登場を待たねばならなかった。

 

第二次世界大戦では、小銃擲弾や小型迫撃砲のような対人兵器のほか、対戦車兵器としての擲弾発射器も登場した。これは、従来の徹甲弾であれば高初速が必要だったのに対し、モンロー/ノイマン効果を用いた成形炸薬弾の場合、むしろ低初速の対戦車擲弾のほうが適しているためであった。

 

またベトナム戦争では、視界の悪い熱帯雨林での戦闘に対応して、薬莢に薬室をもたせたハイ・ロー・プレッシャー弾を使用することで、個人携行できる擲弾発射器(いわゆる「擲弾銃」)が開発された。