私が韓国軍の軍人で真っ先に思い浮かべる一人に白善燁(ペク・ソンヨプ)大将がいる。
その白善燁将軍が後4か月で100歳となる前に昨日逝った。
晩年は親日派として決して良い処遇はされなかったと聞く。
韓国戦争(朝鮮戦争を韓国では韓国戦争とかユギオとか呼ぶ)で若き将軍として戦い抜いた初の韓国陸軍大将であった。
私が白善燁将軍を初めて知ったのは「韓国戦争一千日 白善燁回想録」であった。
その後より詳しい「若き将軍の朝鮮戦争 白善燁回顧録」が出版され白善燁大将より詳しく知ることが出来た。
文庫も出ているので読んでいない方は読んで欲しい本である。
私のPC横の本棚にも「指揮官の条件 朝鮮戦争を戦い抜いた軍人は語る」等白善燁将軍の著作がある。
抗日ゲリラ掃討部隊の満州国軍中尉として終戦を迎え、韓国軍創設に脱北して入隊した。
韓国で軍創設に尽力した。
朝鮮戦争(1950~53年)では数々の戦闘で功績を挙げ、陸軍参謀総長や韓国陸軍初の大将に昇進。
「朝鮮戦争の英雄」と呼ばれ、米軍との関係も深かった。
共同作戦を行うアメリカ軍からは「ホワイティ(Whity)」の愛称で呼ばれた。
白善燁将軍には様々なエピソードがある。
回顧録を残したこともあるが朝鮮戦争の高位の指揮官として生き証人でもあったことからインタビューとか残されているものが多いのだろう。
マッカーサー元帥と共に戦った将軍なんてとっくの昔に・・・・・って話だから・・・。
1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発したが、このとき白将軍は第一師団長で30歳であった。
多富洞の戦いでは、北朝鮮軍3個師団に対して不退転の陣地を築き、アメリカ第27連隊と共同してこれにあたった。
韓国軍は連日の損害を避難民や学生から補充したために、半分が十分な訓練も受けていないアマチュアの兵隊達であった。
韓国軍部隊の後退で危機が訪れた際には、自身マラリアの高熱に苦しみながらも退却してくる兵士達に訓示を与え、みずから先頭を切って突撃を行い戦況を挽回した。
これが朝鮮戦争中に師団長が突撃をした唯一の場面であった。
アメリカ陸軍のウィリアム・ディーン将軍が、完全に共産軍に包囲された白将軍の部隊に「大丈夫か?生きてるか?」って無線できいたら、「周り全部敵ですが、攻撃する相手に困らなくていいです。ハハハ」って返事したエピソードがある。
そんな韓国戦争の英雄も親日とレッテルを貼られた。
満州国軍官学校を卒業し、満州国軍時代に間島特設隊に所属し、白頭山の鴨緑江、豆満江上流部一帯で、中国共産党が主導する中国人、満州人、朝鮮人により構成された抗日ゲリラの討伐に従事したことが親日派であると晩年まで言われた。
2009年、李明博政権ではその功績を讃えて韓国軍史上初の「名誉元帥」に推戴されることが内定したが結局元帥にはならなかった。
私の周りの戦史好きな自衛官、元自衛官には白善燁将軍と交流のあった方が多い。
謹んで御冥福をお祈りします。