空挺出身の7師団長は一味違う! | 戦車兵のブログ

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元陸上自衛隊の戦車乗員である戦車兵のブログ
北海道在住でマニアックなメカとしての戦車じゃなく、戦車乗りとしての目線から自衛隊や戦史、戦車を見る!!。
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東千歳駐屯地の第二滑走路へ陣地進入確保後、ぜぃぜぃとなっている息を整えつつ、整列している戦車などの戦闘車輌を撮影して歩く。

 

戦闘車輌は延々と並び、この感じはカメラじゃ伝えきれない。

 

そしてこの時間は準備する隊員の姿やその後隊員が整列するまでの間しか見られない。

 

 

なのでゆっくりとはしていられない。

 

撮影しにあっちこっちに行っては知り合いと会いご挨拶しつつ撮影。

 

知り合い達は全国を歩き駐屯地祭を楽しむ人たちで早くから来ているのでこの時間は会いやすい。

 

数分したら人混みが増して会えないだろう。

 

 

第七師団くらいでしか見られない装備も少なくなく、総合火力演習を引き合いに出す人もいるのだけれど、全国を周る人で戦車好きは圧倒的に東千歳駐屯地だと言うからね。

 

 

戦車好きには堪らない魅力のあるのが第七師団であると言っても過言ではない。

 

3個の戦車連隊と日本で唯一偵察隊に戦車のある機甲師団だからね。

 

 

その機甲師団の師団長は機甲科出身の人も少なくないのだが・・・今の師団長はちょっと異色な空挺団長経験者の師団長だ。

 

 

そうこうしている内に部隊の整列が始まった。

 

清々粛々と整列する部隊と気合の入った号令をかける部隊といろいろあるのも面白い。

 

特科は気合入っていたね、耳が遠いから大声で?って思ってしまった。

 

 

正面に72戦車連隊が整列する。

 

後方の戦車は73戦車連隊の90式戦車。

 

 

師団長臨場はなんと対戦車ヘリに護衛されたヘリに乗って現れた。

 

さすがだね。

 

 

ヘリから降りて迷彩服姿で登場する第七師団長の前田忠男陸将。

 

防衛大学校31期。

 

青年将校時代は北海道の留萌の26普連に配属され翌年には空挺団へ転属している。

 

中隊長は真駒内の18普連だ。

 

北海道との縁もかなりある師団長のようだ。

 

 

空挺団長を経て幹部候補生学校校長、陸幕防衛部長を歴任した後に7師団長に着任した。

 

機甲科とはあまり接点はないのかな・・・・。

 

しかし、訓示では機甲百年に触れ、初代陸軍機甲本部長吉田 悳陸軍中将の戦車兵の模範である、『機甲斯くあるべし』の言葉を引用していたのには驚いた。

 

『機甲斯くあるべし』

 

「一瞥克制機」(いちべつ よく きをせいし)

 

「万信必通達」(ばんしん かならず つうたつ)

 

「千車悉快走」(せんしゃ ことごとく かいそう)

 

「百発即百中」(ひゃっぱつ すなわち ひゃくちゅう)

 

「練武期必勝」(れんぶ ひっしょうを きし)

 

「陣頭誓報告(国)」(じんとう ほうこくを ちかう)

 

 

師団長は元気いっぱいのようで勝ち鬨をあげていた。

 

機甲出身の師団長は大概戦車について詳しい分戦車乗りには厳しい指導をするものだ。

 

西元師団長時代は戦車乗員に直接指導をされ、「普戦協同」の重要性を説いていた。

 

「歩戦協同」と旧軍では呼ぶ、つまり歩兵と戦車の連携だね。

 

機甲師団の普通科は戦車部隊に配属され、戦車部隊では普通科をよく使うのだが、普通科連隊主力の師団・旅団の普通科連隊へ配属された戦車はあまり普通科部隊から使われない・・・・。

 

空挺出身の師団長はどっちだろうね?

 

 

観閲行進の体勢をとる隊員。

 

「乗車定につけ!」である。

 

「乗車よーい、乗車!」で一斉に戦車に乗車する。

 

 

観閲行進の体勢へ移行するのもなかなかの見ごたえである。

 

 

観閲行進の話は・・・次回の更新で。