アメリカから見た神風特攻隊 | 戦車兵のブログ

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神風特別攻撃隊を攻撃を受けたアメリカ軍人は、「カミカゼクレイジー」「デビルズバード」「バードオブヘル」「ゾンビ」「カッツェンジャマー・キッド(酔っぱらい小僧)」と呼び恐れた。

 

アメリカ側から見た特攻を紹介する。

 

 

特攻が開始される1944年後半のフィリピン戦前の時点では、それまでの太平洋戦域における日米航空戦の戦績により、アメリカ軍の日本軍航空部隊や搭乗員に対する評価は地に落ちており、アメリカ軍公式の評価では「1944年夏までには日本軍は何処においてもアメリカ空軍に太刀打ちできないということが、日本空軍司令官らにも明らかになっていた。彼等の損失は壊滅的であったが、その成し遂げた成果は取るに足らないものであった。」とされていた。

 

 

 

連合軍太平洋方面軍・アメリカ太平洋艦隊司令チェスター・ニミッツ元帥も、日本軍パイロットは未熟で訓練不足と認識しており、それがマリアナ沖海戦の勝因だったと分析し、マリアナ沖海戦でアメリカ軍艦隊を率いた第五艦隊司令レイモンド・スプルーアンス大将も、日本軍パイロットはアメリカ軍パイロットの敵ではなく、アメリカ軍は日本軍航空部隊の攻撃を打ち砕いたと評価していた。

 

ジョージ・ケニー中将

 

ソロモン諸島やニューギニアで日本軍航空隊と戦ってきた、マッカーサー元帥の指揮下の第5空軍司令のジョージ・ケニー中将などは「日本国民のあまりに多くの人々が、水稲稲作者・漁師・車夫といった農民階級で、彼等はあまりにも愚鈍、余りに考え方がのろくて、機械的な知識や適応性に全く欠けている」とし、戦闘機パイロットになる素質を持った日本人はアメリカ人と比較して遥かに少ないと、人種偏見に満ち日本軍を侮った報告をアメリカ陸軍航空隊司令ヘンリー・アーノルド元帥に送っている。

 

 

その後にフィリピン戦で特攻が開始され、アメリカ軍に大きな損害が生じると、ニミッツは「特攻隊パイロットの飛行技術の明白な改善は、日本軍に対する連合軍の海軍作戦の前途に横たわる危機の不吉な前兆を示していた。」と日本軍搭乗員の技術を再評価し、今後の戦況への不安を口にするほどであった。

 

アメリカ海軍第7水陸両用部隊司令ダニエル・バーベイ少将は「日本航空部隊の実力に対して何の疑問もなかった。オルモック湾(フィリピン戦)での特攻による戦果が日本航空部隊の実力に対する疑問を残らず拭い去った」と日本軍航空隊の操縦技術に対するこれまでの低評価に異議を唱え、また「日本軍は自殺機という恐るべき兵器を開発した。日本航空部隊がその消耗に耐えられる限り、アメリカ海軍が日本に近づくにつれて大損害を予期せねばならない。」と今後の戦局を予想し、その予想通り沖縄戦でアメリカ海軍は第二次世界大戦最大の損害を被ることになった。

 

 

またアメリカの諜報機関Office of Strategic Services(略称OSS、CIAの前身)も「日本人には視力障害があるから良いパイロットになれないという意見があるが、これは間違っている。日本人は高高度飛行ができないという意見も正しくない。(中略)日本軍パイロットが優秀な飛行技術を身に着けているということは、特攻パイロットたちが、厚木や鹿屋で受ける訓練形式によって証明されている。」と分析している。

 

 

終戦後に調査したアメリカ軍は「日本が(特攻で)より大きな打撃力で集中的な攻撃を持続し得たなら、我々の戦略計画を撤回若しくは変更させ得たかもしれない」や「日本人によって開発された唯一の、最も効果的な航空兵器は特攻機(自殺航空機)であり、戦争末期数か月に日本全軍航空隊によって、連合軍艦船に対し広範囲に渡って使用された。」という見解を報告している。

 

 

 

1945年7月2日ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、日本上陸計画を準備しているが、特攻が激しくなっており、この調子では日本上陸後も抵抗にあい、アメリカに数百万人の被害が出ると話し、天皇制くらい認めて降伏勧告をすべきと大統領に意見した。合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長ウィリアム・リーヒ提督は、無条件降伏に固執せず、被害を大きくするべきではないと意見した。

 

 

軍や軍高官が戦術としての特攻の手ごわさについて評価する一方で、第一線のアメリカ兵の多くが、自らの西欧的価値観からは信じがたい、他人を殺すために自らも死ぬといった戦術である特攻について「不可解」や「非人間的」や「狂信的」という印象を抱き、日本兵に対する憎しみや偏見を募らせていた。

 

 

特攻ほど日本軍が恐るべき敵であると思い知らせたものはなかったとの指摘もある。

 

第一線の兵士は特攻機に対し、「カミカゼクレイジー」「デビルズバード」「バードオブヘル」「ゾンビ」「カッツェンジャマー・キッド(酔っぱらい小僧)」等思いつく限りの蔑称や禍々しいあだ名を付けていた。

 

 

特攻機との戦闘後には、アメリカ軍艦艇上には特攻機の部品や特攻隊員の遺体の一部が散乱していたが、海軍の水兵は「日本のおみやげ」と称し、機体の部品や特攻隊員の遺品を拾い回った。

 

中には遺体や遺骨の一部を本国に持ち帰る者もいた。

 

軽巡洋艦モントピリアの水兵の1人は、本国の妹が欲しがっているとのことで、特攻隊員の肋骨を持ち帰っている。

 

モントピリアの水兵ジェームズ・J・フェーイーは艦に散乱している特攻隊員の遺体を見て、特攻隊員がアメリカやアメリカ軍艦艇と一緒に自分自身も滅ぼしたがっていると感じ、日本軍を意気阻喪させたり、あきらめさせたりするのは無理で、ヨーロッパ戦線での連合軍空軍によるドイツ本土に対する戦略爆撃なんて、アメリカ海軍が特攻隊相手にやっていることに比べたらたわいのないもので、ドイツも頑張っているが日本ほどではないという思いを抱いている。

 

 

しかし軍隊における自己犠牲の精神はアメリカやドイツといった西欧諸国でも万国共通であり、特攻に近いような行為もしばしば行われていた。

 

その為、特攻隊員を称賛するアメリカ兵もおり、1945年4月11日に戦艦ミズーリに特攻し戦死した石野節雄二飛曹について、ミズーリの艦長であるウィリアム・キャラハン大佐(第三次ソロモン海戦で戦死したダニエル・J・キャラハン少将の弟)は「祖国の為に命を投げうってその使命を敢行した勇敢な男には、名誉ある水葬をもって臨むべきである。死した兵士はもはや敵ではない。翌朝、勇者の葬儀を執り行う」と石野二飛曹を称賛し、異例とも言える敵兵の水葬を行っている。

 

その際わざわざミズーリの水兵が手作りで作った旭日旗で石野二飛曹の遺体を覆い、礼砲まで撃って礼を尽くしている。

 

 

連合軍太平洋方面軍・アメリカ太平洋艦隊司令チェスター・ニミッツ元帥は、レイテ沖海戦での大勝利を第二次世界大戦でのトラファルガーの海戦と評価し、叩きのめされた日本海軍は、まともに戦えなくなったと判断していたが、その勝利ムードに冷や水を浴びせたのが特攻となった。

 

フィリピン戦での特攻での損害を見て「神風特別攻撃隊という攻撃兵力はいまや連合軍の侵攻を粉砕し撃退するために、長い間考え抜いた方法を実際に発見したかのように見え始めた」と特攻が大きな脅威になったと述懐している。

 

また、ニミッツの太平洋艦隊広報はこの後沖縄戦後に至るまで、特攻に関するニュースを全て検閲していた。

 

特攻の成功を絶対に日本軍に知らせまいとするニミッツからの指示であった。

 

逆に大和を撃沈した際は大々的に広報し、戦意高揚のために陸軍記念日の演説で全部隊に放送している。

 

 

沖縄戦でも、沖縄近海で特攻により激増する損害を懸念したニミッツは、日本軍の固い防衛線に苦戦し、中々進軍できない沖縄方面連合軍最高指揮官の第10軍司令官サイモン・B・バックナー・ジュニア中将の作戦に苛立ちを覚え、指揮を混乱させかねないため現場の指揮には一切口を出さないと言う自らの不文律を犯して、作戦指導への介入のために4月23日に沖縄にてバックナーと会談している。

 

 

そこでニミッツはバックナーに「海軍は、毎日1.5隻ずつ艦船を失っている。その為、五日以内に第一線が動かなければ、このいまいましいカミカゼから逃れる為に、他の誰かを司令官に変えて前進させるぞ。」と、異例とも言える更迭を匂わせての早急な進撃を促している。

 

結局この時ニミッツはサイパンの戦いでの「スミスVSスミス」事件での陸海軍海兵隊3軍対立の二の舞いを恐れて強権は発動しなかったが、この後も陸軍の進撃速度は上がらず、予定の3倍の90日にも及んだ沖縄戦で海軍が特攻で受けた損害は莫大なものとなった。

 

しかし、沖縄戦末期の6月上旬ごろには、日本軍の本土決戦準備による戦力温存もあって、特攻による損害も減少し「神風特攻の脅威を自信をもってはね返すとこまで来ていた」と胸を張っていたが、その要因として「カミカゼの方では、最後の突入から戻ってきてその体験を報告するパイロットがいなくなったために、改善の基礎となるデータを発展させることができなかった。」と分析していた

 

 

沖縄戦が終わると「我が海軍が(沖縄戦で)被った損害は、大戦中のどの海戦よりもはるかに大きかった。沈没30隻、損傷300隻以上、9000人以上が死亡、行方不明または負傷した。この損害は主に日本の航空攻撃とくに特攻攻撃によるものであった。」と沖縄戦での特攻を総括している。

 

 

フィリピンと沖縄で特攻に多数の艦船を奪われたニミッツらアメリカ海軍指導部は、日本本土への侵攻作戦において、多数の特攻を受け、莫大な損失を出すことを恐れ悲観的な予測に傾いていた。

 

ニミッツは海軍作戦部長キングに「日本を侵攻する場合は、われわれは甚大な被害を受け入れる覚悟をしなければなりません。食料状態が悪く、ろくに補給も受けていない日本軍はわれわれの圧倒的な空と陸からの行動でうちのめされましたが、その成功も、敵の通信経路が短く、敵の物資がより豊富な日本本土で直面する抵抗を推しはかるただひとつの基準としては使えないでしょう」という報告書を提出している。

 

 

アメリカ軍全体でも、日本本土決戦になっていた場合の想定として「オリンピック作戦(九州上陸作戦)に対抗して、九州防衛のための特攻機が準備され、これより規模の小さい準備がジッパー作戦に対抗してシンガポール防衛のためになされた。これらの特攻機の使用により、上陸作戦時の連合軍艦隊が、連合軍が計画した多様な効果的対策に関わらず大きな損害を受けたであろうことは疑問の余地はない。」と特攻により大損害を被るという予測をしていた。

 

 

しかし、ダウンフォール作戦は開始されることなく、日本のポツダム宣言の受諾により戦争は終結し、太平洋戦争後に母校アメリカ海軍大学で講演したニミッツは「日本との戦争において起きたほとんどのことは、この教室(War Gaming Department)において多くの学生らにより想定されており驚くことはなかったが、唯一大戦末期のカミカゼだけが予測できなかった」と述べている。

 

 

海軍以外でもダグラス・マッカーサー元帥は、フィリピン戦で特攻の猛威を目のあたりにすると「カミカゼが本格的に姿を現した。この恐るべき出現は、連合軍の海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国海軍の艦艇が至るところで撃破された。空母群はカミカゼの脅威に対抗して、搭載機を自らを守る為に使わねばならなくなったので、レイテの地上部隊を掩護する事には手が回らなくなってしまった」と指摘している。

 

 

その後の沖縄戦では、「大部分が特攻機から成る日本軍の攻撃で、アメリカ側は艦船の沈没36隻、破壊368隻、飛行機の喪失800機の損害を出した。これらの数字は、南太平洋艦隊がメルボルンから東京までの間に出したアメリカ側の損害の総計を超えている」と沖縄戦での特攻による大損害を回顧しているが、そのマッカーサー自身もフィリピンのリンガエン湾で、軽巡洋艦ボイシ座乗中に 特殊潜航艇の雷撃と特攻機の攻撃を受けている。

 

 

雷撃はボイシの巧みな操艦で回避し、特攻機は接近中に対空砲火で撃墜され難を逃れたが、当のマッカーサーは雷撃回避の際は甲板上に仁王立ちし戦闘を眺め、特攻機撃墜時は艦内の喧噪を他所に、居室で眠っていた。

 

マッカーサー配下の第七艦隊の兵士らは、それまでの特攻の猛攻で恐怖が頂点に達していたのに、その指揮官のマッカーサーの剛胆ぶりに担当軍医のエグバーグ医師は驚かされている。

 

 

 

フランスの作家・政治家のアンドレ・マルローは次のように述べて、特攻隊員の精神を高く賞賛した ― 「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。それは世界のどんな国でも真似できない神風特別攻撃隊である。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ」。

 

またマルローは内閣閣僚として日本を訪れた際、昭和天皇との会談で、特攻隊について触れ、その精神への感動を伝えている。

 

 

フランスのジャーナリストのベルナール・ミローは著書『神風』の中で、「散華した若者達の命は…無益であった。しかしこれら日本の英雄達はこの世界の純粋性の偉大さというものについて教訓を与えてくれた」と述べ評価している。

 

且つ「西洋文明においてあらかじめ熟慮された計画的な死と言うものは決して思いもつかぬことであり、我々の生活信条、道徳、思想と言ったものと全く正反対のものであって西欧人にとって受け入れがたいものである」とも述べている。

 

 

一方で、フランス文学者、歴史学者で東京大学客員教授のモーリス・パンゲは主著『自死の日本史』第12章において特にアメリカ人や西洋人一般にみられた嘲笑や中傷を否定し、『きけ わだつみのこえ』を基に特攻隊員が軍閥の言いなりではなく「正しいものにはたとえ敵であっても、誤りにはたとえ味方であっても反対する」という崇高な念に殉じたと彼らに称賛の意を示している。

 

 

2001年に発生したアメリカ同時多発テロ事件において、欧米のマスコミの中には世界貿易センタービルに突入するハイジャックされた航空機を「カミカゼ」、「パールハーバーと同じだまし討ち」と表現するものもあった。

 

これは「生還を考えない体当たり戦法」から、「カミカゼ(=旧日本軍の特攻隊)のようだ」と報道されたものである。

 

実際、「(強者に一矢報いるための)自殺行為同然の突撃」を代名する表現として「KAMIKAZE」の語が用いられることは多い。

 

 

これに対し日本国内では、「特攻はあくまでも敵兵と軍事標的のみが目的。民間人を標的とする「卑劣なテロ」とは違う」という反論も生じた。

 

しかし、日本国外では「有志による自爆攻撃=カミカゼ」という意識がなお根強く、またミサイル駆逐艦コールへの自爆攻撃等、武装組織が正規軍へなんらかの武力抵抗を行った場合の評価、そして武装組織とテロ組織の「線引き」自体が曖昧で、国際的な議論、再評価を巻き起こすには至っていない(戦時国際法では武装勢力(含むテロ組織)は正規軍に準じる存在と位置づけられ、戦闘員の身分は基本的に保証されているが、「テロとの戦い」が「戦時」に該当するか、戦時国際法が適用されるかどうか自体が曖昧である)。

 

また正規軍の民間人に対する武力行使は戦時国際法で厳格に禁止され、罰則対象になっているが、この条項自体が事実上空文化している(代表的なところではアメリカ軍の原爆投下や無差別絨毯爆撃(

 

 

 

じゅうたんばくげき、イラク戦争の掃討作戦、イスラエル軍の入植地攻撃、ロシアのアフガン、チェチェン侵攻など)ため、この辺りもテロ行為と特攻の線引きを難しくしている。

 

さらには当の武装勢力(含むテロ組織)のタミル・イーラム解放のトラやハマスでも、なぜ自爆テロを行なうのかとの問いには「カミカゼ」の答えが返って来ることがある。

 

テロと神風特攻隊と一緒にされるのは断じて違うことを世界に知って欲しいことではあるね。