『激動の昭和史 沖縄決戦』は、1971年7月17日に公開された日本の戦争映画。
監督は岡本喜八監督。
音楽は佐藤勝。
大東亜戦争末期の沖縄での戦いを描いている『東宝8・15シリーズ』の第5作。
陸戦の描写が中心となるため特撮はそれまでの戦記映画よりも少ないが、1/1100スケールの沖縄全島セットや1/200スケールの戦艦大和のミニチュアなどが造られた。
M41軽戦車は木製の実物大模型のほか、自衛隊の当時の現役車輌も併用された。
戦車はあんな隊形じゃ行かないよというのが戦車乗りの意見だが・・・。
第三十二軍司令官の牛島満中将は小林桂樹が演じている。
第三十二軍参謀長の長勇中将は丹波哲郎が、そして原作を書いた八原高級参謀は仲代達矢が演じていた。
八原 博通陸軍大佐は原作となった「沖縄決戦」の著者。
沖縄戦で第32軍の高級参謀として戦略持久作戦を指導した。
巧みな作戦指導により圧倒的に優勢なアメリカ軍に大きな犠牲を与え、当初計画の3倍の期間足止めした。
アメリカ軍からは「すぐれた戦術家としての名声を欲しいままにし、その判断には計画性があった」と高く評されている。
1945年6月18日に沖縄本島南部摩文仁の洞窟に追い詰められたは第32軍司令官牛島満中将は、自分の最期を悟ると長勇参謀長を除く八原ら参謀に、日本本土に帰還して戦訓を伝えることや、アメリカ軍後方に潜入して遊撃戦を仕掛ける任務を与え、自分と長は自決を決意した。
八原は他2名の参謀と日本本土に帰還する任務を命ぜられた。
その夜には残ったわずかな缶詰などの食糧で第32軍司令部最後の宴会が催された。
21日には沖縄戦のアメリカ軍司令官サイモン・B・バックナー・ジュニア中将が戦死したという知らせを受け、歓喜したが、翌22日には司令部洞窟周辺にアメリカ軍が進出し激しい攻撃を加えてきたため、6月23日に牛島と長は自決し、第32軍は実質上組織的な抵抗を終了した。
八原は、牛島と長の自決を見届けた後、牛島の命令通り、日本本土への戦訓伝達のため、民間人になりすまし脱出を図るが、6月25日に民間人や敗残兵数十人が籠る具志頭の洞窟に入ったところでアメリカ軍に包囲された。
留学時の体験でアメリカ人をよく知っている八原は、アメリカ軍が民間人らを殺害することはないと考え、玉砕すると意気込む敗残兵を説き伏せると、英語でアメリカ軍に投降を申し出て民間人ら数十名と共に捕虜となった。
アメリカ軍の収容所に入ってからも偽名を使い身分を教師と偽わり、民間人として作業に従事していたが、7月23日に沖縄県庁の元課長で、アメリカ軍の係官をしていた日本人男性からの取り調べを受けた際に身元がばれてしまった。
八原はそのままアメリカ軍に引き渡され、その後はアメリカ軍から尋問を受けたが、住居として一軒家の農家を与えられるなど高級士官の捕虜として扱われ、日本産まれの日本語が堪能なアメリカ軍の連絡将校を充てがわれ、元日本兵の当番兵も付けられた。
八原はアメリカ軍の機関紙『バックナー』も自由に読むことができ、『バックナー』紙面で日本への原子爆弾投下やポツダム宣言受諾を知ることとなった。
その後も、アメリカ陸軍第10軍の参謀長らと、沖縄戦について論議したりしながら捕虜として12月30日まで過ごした後、1946年1月に復員した。
沖縄決戦で印象的なシーンとして米軍が沖縄に上陸する場面で、「本島西海岸一帯は米艦艇のため海の色が見えない!!」と賀谷支隊長役の高橋悦史が司令部へ報告するシーンだ。
「何!? 海の色が!? それじゃわからん!!」三宅通信参謀役の佐々木勝彦がと叫ぶ。
「船が七分に海が三分、船が七分に海が三分だ!!わかったか!!
艦砲が終わったら揚がってくる……三宅、念のため聞いておくが、この上陸正面には俺の隊しかいないな?よし、わかった!」」 賀谷支隊長のこの台詞は映画界に影響を与えた。
庵野秀明も岡本喜八監督の大ファンとして知られ、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で“使徒”の波長パターンとして表示される「BLOOD TYPE:BLUE」が、『ブルークリスマス』の英題からの引用であることは有名な話である。
同じ庵野の監督作『トップをねらえ!』では、岡本の『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)における「船が多すぎて海が見えない」、「船が七分に海が三分」などのセリフや、「砲弾○万○千発/ロケット弾○万○千発」のテロップをオマージュとして模倣しており、『沖縄決戦』がLD化された際には庵野がライナーノートを書いている。
なお、「船が-」のセリフは『トップ - 』を介して著名になり、『ナイトウィザード The ANIMATION』やゲーム『おたく☆まっしぐら』などでもパロディ化(または再パロディ化)されている。
『シン・ゴジラ』(2016年)には物語の鍵を握る所在不明の学者・牧悟郎として岡本が顔写真で出演している。
作曲者の佐藤勝は、『沖縄決戦』では離島の集団自決シーンにわざと明るい音楽をあてて、曲の基本は沖縄古来の琉球音階に置くものの、三線など沖縄固有の楽器は用いず、オーケストラで演奏した。