学科嫌い【アメリカ民謡「リパブリック讃歌」の替え歌】 | 戦車兵のブログ

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戦前、陸軍幼年学校と言えばエリート軍人の登竜門であり、全国から秀才が受験していた。


その幼年学校でも学科が嫌いな生徒がいたんだね。



作詞者水島周平氏は、中幼10期生で名幼10期生でもある。東京府出身で、身長高く偉丈夫で親分肌。一種の威圧感を感ぜしめた。


弘前歩兵第五十二聯隊で任官したが、早く軍職を去り、昭和22年死去した。


その作詞「学科嫌い」(乞食袋)は今でも口ずさまれている。

水島氏はこの作詞で書籍カバンを乞食袋と歌った廉で、学校当局から叱責され、外出禁止の処分を受けた。


しかし、国漢文の教官は「これくらい作詞出来れば教官は満足である」と喜ばれたとか。



なお、「歩兵の歌」の作詞者加藤明勝氏も名幼第10期の同期生である。



乞食袋を重そうに
喇叭の声で集まって
教室さしてゾロゾロと
行けば数学よ


シンコステータの三角が
やっと済んだと思ったら
座標、原点、放物線
これが解析か


理学博士じゃあるまいし
加速度なんか知るものか
頭が四角や三角に
なるは重学よ


釘かミミズか知らないが
頓珍漢の語学など
やっても役には立たないよ
俺はナポレオン



孔子や孟子が酒飲んで
一杯機嫌でほら吹いた
でたらめなんか知るものか
いやな漢文じゃ


昔もむかし大昔
兼好法師や貫之が
寝言を書いた国文は
溶けた水飴か

紙が踊って球がとぶ
煙が出たり火が消える
俺らが見たらこの理化も
やはり切支丹


七千年の老いぼれが
ほんとらしく述べ立てる
誰が真面目に聞くものか
ひどいほら吹き奴



石が黒いも青いのも
さっぱり俺には無関係
この世の中に山河の
あるは当たりまえ



下手な理屈をこねまわす
三段論法帰納法
ギリシャの昔の馬鹿者が
遺したやくざもの




十一 大工や左官のまねをする
図学なんか要るものか
呑気な奴の仕事には
至極適当じゃ



十二 山の形や水の色
写真の便利も知らないで
珍しそうに紙に画く
画学は間抜け者


十三   忠孝仁義と今さらに
勿体らしく言うけれど
催眠術に違いない
直ぐに眠くなる



十四 世が逆さまになったならば
時文が役に立つだろう
この真ッ直ぐの世の中にゃ
まるで不必要



陸軍幼年学校の生徒数は約50名で、13歳から16歳で入校し3年間の教育が行われた。


学費は陸海軍の士官子息は半額であり、戦死者遺児は免除とされていた。


また、制服の襟に金星のマークがつけられたことから「星の生徒」と呼ばれた。



卒業生は中央幼年学校に進み2年間の教育を受けた。



中央幼年学校卒業後は士官候補生となり、各部隊で下士兵卒の勤務(隊附勤務)を六箇月間ほど務め、陸軍士官学校に進んだ。


作詞者の水島周平氏は名古屋陸軍幼年学校十期生であった。


その跡地は現在中部管区警察学校となっているが、幼年学校時代に建てられた観武台の碑(戦後埋められていたものを掘り起こして再建)など当時の面影を一部残している。