戦前、陸軍幼年学校と言えばエリート軍人の登竜門であり、全国から秀才が受験していた。
その幼年学校でも学科が嫌いな生徒がいたんだね。
作詞者水島周平氏は、中幼10期生で名幼10期生でもある。東京府出身で、身長高く偉丈夫で親分肌。一種の威圧感を感ぜしめた。 弘前歩兵第五十二聯隊で任官したが、早く軍職を去り、昭和22年死去した。 その作詞「学科嫌い」(乞食袋)は今でも口ずさまれている。 水島氏はこの作詞で書籍カバンを乞食袋と歌った廉で、学校当局から叱責され、外出禁止の処分を受けた。 しかし、国漢文の教官は「これくらい作詞出来れば教官は満足である」と喜ばれたとか。 なお、「歩兵の歌」の作詞者加藤明勝氏も名幼第10期の同期生である。 |
一 | 乞食袋を重そうに 喇叭の声で集まって 教室さしてゾロゾロと 行けば数学よ
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四 | 釘かミミズか知らないが 頓珍漢の語学など やっても役には立たないよ 俺はナポレオン |
五 | 孔子や孟子が酒飲んで 一杯機嫌でほら吹いた でたらめなんか知るものか いやな漢文じゃ
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七 | 紙が踊って球がとぶ 煙が出たり火が消える 俺らが見たらこの理化も やはり切支丹
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十 | 下手な理屈をこねまわす 三段論法帰納法 ギリシャの昔の馬鹿者が 遺したやくざもの |
十一 | 大工や左官のまねをする 図学なんか要るものか 呑気な奴の仕事には 至極適当じゃ |
十二 | 山の形や水の色 写真の便利も知らないで 珍しそうに紙に画く 画学は間抜け者 |
十三 | 忠孝仁義と今さらに 勿体らしく言うけれど 催眠術に違いない 直ぐに眠くなる
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陸軍幼年学校の生徒数は約50名で、13歳から16歳で入校し3年間の教育が行われた。
学費は陸海軍の士官子息は半額であり、戦死者遺児は免除とされていた。
また、制服の襟に金星のマークがつけられたことから「星の生徒」と呼ばれた。
卒業生は中央幼年学校に進み2年間の教育を受けた。
中央幼年学校卒業後は士官候補生となり、各部隊で下士兵卒の勤務(隊附勤務)を六箇月間ほど務め、陸軍士官学校に進んだ。
作詞者の水島周平氏は名古屋陸軍幼年学校十期生であった。
その跡地は現在中部管区警察学校となっているが、幼年学校時代に建てられた観武台の碑(戦後埋められていたものを掘り起こして再建)など当時の面影を一部残している。