もうクリスマスまで一月ってことで・・・・、平成29年ももう残り1月余りですね。
札幌は一度は消えた雪景色も今朝にはまたふまた雪が降り・・・。
もう根雪と変らないね。
11月25日と言えば三島由紀夫が市ヶ谷の東部方面総監部で自決した日ですね。
昭和45年11月25日に三島由紀夫・森田必勝らが総監・益田兼利陸将を監禁して、部隊に決起を促す演説をするが、与する自衛官はなく、三島らは割腹自決したいわゆる三島事件のあった日です。
監禁された益田兼利総監は陸士46期、陸大54期出身の元陸軍少佐であった。
益田兼利陸将は、終戦直後の1945年(昭和20年)8月17日、益田は陸軍士官学校同期の晴気誠少佐の自決に立ち会っている(晴気少佐は参謀本部作戦班在職時、サイパン島防衛計画の主務者であったが、作戦指導の失敗がサイパン島の失落、ひいては日本の敗戦を招いたとして、強い自責の念に駆られての自決であった)。
奇しくも同じ市ヶ谷台で、益田陸将はは三島の自決と2件の自決に立ち会ったこととなった。
益田兼利陸将の息子の益田兼弘陸将は防大9期の自衛官で、なんと親子2代にわたり同一の第二師団長(旭川)、東部方面総監を歴任した。
かつては市ヶ谷駐屯地に東部方面総監部があったが現在は朝霞駐屯地へ移転している。
かつて三島事件が起きた東部方面総監部の建物は現在は移築され「市ヶ谷記念館」となって保存されている。
三島事件の起きた総監室も市ヶ谷の防衛省ツァーで見学できる。
この建物は「1号館」と呼ばれ旧日本陸軍では陸軍士官学校本部として建築され、後に大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部等として使用された。
終戦により1946年、極東国際軍事裁判所法廷が同館大講堂に開設されたことは有名である。
1960年からは陸上自衛隊東部方面総監部、各自衛隊幹部学校等として使用された。
機会があったら見学して欲しい日本近代の歴史的建造物だ。
三島事件とはあんまり関係ない話になってしまったね。