持ち主不明の寄せ書き日章旗が70年の時を超え故郷・静岡に帰還 | 戦車兵のブログ

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日章旗の寄せ書きは日本兵が出征する際に近親者が武運長久を祈り心を込めて寄せ書きして渡したものだ。



この寄せ書きは米兵が戦死した日本兵の懐から「戦利品」として持ち帰った。



現在ではこの日本兵の遺品をネットオークションなどで売り買いされているのが現状だ。




以下産経ニュースより転載






節分の日の2月3日、出征の地である静岡市清水区興津本町の茨原神社に、持ち主不明の寄せ書き日章旗(出征旗)が奉納された。




旗に出征者の名前がなく持ち主は不明だが、旧日本兵の遺品返還に取り組む米国の民間団体「OBONソサエティー」が、書かれていた神社名から茨原神社を探し出し、返還した。



同神社の丸尾裕彦宮司(56)は産経新聞の取材に対し、「遺族は見つかっていないが、旗だけでも故郷に戻って来られた」と、感慨深げに語った。





 この出征旗は1944~45年にグアム、フィリピンのレイテ島などに配属されていた旧米兵が所有していた。


旗には、「茨原神社守護」、また、丸尾宮司によれば、当時の宮司である祖父、丸尾磐根さんの署名が残されている。



 丸尾宮司は「この町で暮らし、この町から出征し、旗だけでも故郷に戻って来られた。遺族が見つかるまで、大切に保管したい」と話す。


 男性の死後、旗を譲り受けた米フロリダ州在住の息子が、遺族への返還を同団体に依頼した。


旗を所有していた旧米兵の男性は生前、遺族への返還を試みたがかなわず、息子が現在まで大切に保管していたという。



出征旗はふつう、右側に出征する兵士の名前が書かれ、周りに無事帰還することなどを祈念する寄せ書きが記されている。



だが、今回返還される旗は右側に「茨原神社守護」と書かれているだけで、個人名の記載はない。



 それでも、同団体は、所有者の「遺族に返還したい」という意志を尊重。同神社が静岡市清水区興津本町にあることを突き止め、奉納にこぎつけた。



 同団体の関係者は「神社に掲出してもらい、遺族が出てきてくれれば」と期待する。依頼を受けた同町自治会長の斉藤見遙さん(68)は「『茨原神社守護』と書かれており、小さな町の神社だが、そこで祈祷(きとう)を受けて出征した人なのだろう」と思いをはせる。






 米オレゴン州に拠点を置く同団体は6年ほど前、戦後70年の2015年を見据え、「OBON2015」の名称で発足した。



 第二次世界大戦の戦利品として、旧米兵らが持ち帰った出征旗などの遺品を日本側に返還する活動に取り組み、今年から名称を「OBONソサエティー」に変更した。



 同団体によると、これまでに170枚近くの出征旗を収集し、うち46枚が遺族に返還された。


しかし、122枚は遺族が分かっていない。今回返還される旗もそのうちの一つだ。



同団体は「神社に奉納することで、遺族が判明するきっかっけになれば…」としている。


 茨原神社に奉納された出征旗に関する問い合わせ・情報提供は、同団体の工藤公督(こうすけ)さん(電)050・3573・0152。


(産経ニュース)



戦死した日本兵の遺族にとってはかけがえのない遺品である。


もっと早くに・・・。


名前も書かれてあったり、戦利品として持ち帰った米兵の所属部隊や戦った戦場がわかればきっと日本兵の所属や出身地なども解る筈である。


しかし、遅すぎたね。


未だにネットで売り買いされている寄せ書きの日章旗を見るたびに怒りを通り越して悲しくなるね。