撫順襲撃事件(ぶじゅんしゅうげきじけん)とは、1932年9月15日に起きた満洲国撫順市の撫順炭鉱における匪賊紅槍会匪(大刀会匪)による放火、日本人殺人事件。
楊柏堡事件、撫順炭鉱襲撃事件とも呼称される。
1932年9月15日、日満議定書が締結され日本国は満州国を承認した。
締結日の払暁から16日未明にかけて銃、槍、太刀で武装した匪賊の大軍が撫順炭鉱の楊柏堡、東郷、東が岡などの採炭所を襲撃、施設に火を放ち、日本人5人が殺害された。
事件では匪賊が楊柏堡採炭所の撫順医院看護手濱口友七郎や龍鳳採炭所職員の家族土田慎一郎は銃声とともに匪賊の「ヤー、ヤー」「ホイホイ、ホイホイ」などの叫び声を聞いている。
炭鉱事務所や社宅は匪賊によって焼き払われた。
殺害された犠牲者は目を繰り抜かれ、耳、鼻をそぎ落とされていたため、本人確認をすることが困難であった。
9月16日、撫順守備隊が反撃を行った。
この反撃について平頂山事件と呼称される。
戦後、本事件の犠牲者や家族は平頂山事件の汚名だけが着せられた。
事件では李香蘭の父に通敵の嫌疑がかけられ、これを契機に李香蘭一家は奉天に移住することとなった。