皇居遥拝と東京駅 | 戦車兵のブログ

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元陸上自衛隊の戦車乗員である戦車兵のブログ
北海道在住でマニアックなメカとしての戦車じゃなく、戦車乗りとしての目線から自衛隊や戦史、戦車を見る!!。
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宇都宮へ来たら定宿にしているホテルをチェックアウトして、友人と電車の時間まで買い物に行く。




戦史関連の書籍や友人が愛用しているデジカメが故障してるため、新しいデジカメを買いに行った。




従業員がしつこく重病の友人が疲れているのにいろんなものを勧めてくる。




なんとか振り切り、食事に行くが友人は余程疲れたのだろう。



食欲がかなり出てきたようで驚くくらい食べていた。



これで元気になってくれたらいいね。



宇都宮駅で友人と別れ、湘南新宿ラインの電車に乗り羽田へ。





疲れがたまったのか電車では居眠り、席は空いていて4人席に座っていたが途中数人入れ替わりに空いている座っていた。




東京付近へ入ると若い男性が4人席の私の隣に座った、前の席が空いているのに・・・。




なんか挙動不審なので一睨みすると前の席に移動したが、その挙動が怪しい。





そうこうしている内にその若い男はすぐ降りていった。




上野駅が見え、東京駅を見たら衝動的に降りたくなり予定にはなかったが東京駅で下車した。




東京駅の屋根が特徴的で降りたくなった・・・、というのは嘘で皇居へ行こうと思ったからである。





皇居へ来たのは何年振りだろうか?




久し振りの皇居、私の過去の印象では二重橋前の広い空間は静寂で聖域という趣であった。




今は・・・、違う。




騒がしい喧騒、居るのは中国人ばかり。



派手なかっこうと、どこでも見る中国人のガキがはしゃぎ回り、砂利を握り投げつける姿・・・・。




日本人有志で皇居前のこの傍若無人の振る舞いを糺すことができないだろうか?




二重橋豆知識。




皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。



「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である。



正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。



使用される時は皇居前広場~正門石橋~正門~正門鉄橋~宮殿というルートをたどる。



奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。




そこから、「二重橋」と呼ばれるようになった。




現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。



手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。




二重アーチ構造であることから、「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。





「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは正確な解釈ではない。



皇室の安泰を祈りつつ、楠正成の銅像へ向う。




ここにも大楠公のことなんか何にも知らない支那人が溢れていた。




嘆かわしい。




皇居外苑の南東の一角に、花崗岩の台座に据えられた騎馬姿の武者像が楠正成の銅像。




この銅像は、別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したもので、高村光雲など東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治33年7月に完成し献納されたものです。





本体の高さは4mあり、台座を加えると約8mになります。




また、本体部の重さは、約6.7tと言われています。





根付けキティ・・・、ちょっと欲しい。




でも中国人がたくさんいて買えないね。




なんで中国人が大楠公の前の売店で・・・・。




忍者のなんか買ってたね( ´艸`)





楠正成の銅像の馬も凄くいいけれど、シマウマもいいね。



東京駅へ戻りいよいよこの旅も終わってしまう。



羽田空港へ行くのに浜松町へ、しかし膝に痛みが・・・。




満身創痍になってゆく。




芝増上寺へ行くのは断念した・・・・・。