武漢作戦(ぶかんさくせん)は、支那事変の戦い。武漢三鎮攻略戦もしくは武漢攻略戦とも呼称される。
中国側呼称は武漢会戦、武漢保衛戦。
蒋介石
徐州会戦後も蒋介石政権は日本に対し徹底抗戦を続け、事変解決へは至らなかった。
この作戦は蒋介石政権の降伏を促すため、広東作戦とともに中国の要衝を攻略することを目的とし、日中戦争中最大規模の30万以上の兵力で行なわれた。
また日本国内ではこの動員・巨額の出費のため、政府は1938年5月5日に国家総動員法を施行、同月近衛文麿内閣を改造した。
武漢作戦は前線と後方連絡との関係から、安慶、馬当鎮、湖口を含む九江の占領までの第一段、田家鎮要塞を落として江北の蘄春と江南の陽新の占領までの第二段、武漢三鎮の攻略戦の第三段に分けて考えられていた。
大本営は6月18日に武漢作戦の準備を命令。8月22日に目的は要地武漢三鎮の占領であるとし、通城と岳州を進出限界線として要地の占領とその間の敵の撃破を命令した。
新たに編成された第11軍と、北支那方面軍から転用された第2軍により進攻が開始され、9月下旬に揚子江下流北岸の田家鎮と南岸の馬頭鎮の両要衝が陥落、10月17日に蒋介石は漢口から撤退、10月25日には中国軍は漢口市内から姿を消し第6師団が突入10月26日に占領した。
また第27師団が11月9日に通城を、第9師団が11月11日に岳州を占領し、進出限界に達し作戦は終了した。
参加兵力
日本軍
畑俊六大将
中支那派遣軍 - 司令官:畑俊六大将
岡村寧次中将
第11軍 - 司令官:岡村寧次中将
第6師団 - 師団長:稲葉四郎中将
第9師団 - 師団長:吉住良輔中将
本間雅晴中将
第27師団 - 師団長:本間雅晴中将
第101師団 - 師団長:伊東政喜中将
第106師団 - 師団長:松浦淳六郎中将
第17師団歩兵旅団 - 旅団長:鈴木春松少将
東久邇宮稔彦王中将
第2軍 - 司令官:東久邇宮稔彦王中将
第3師団 - 師団長:藤田進中将
第10師団 - 師団長:篠塚義男中将
荻洲立兵中将
第13師団 - 師団長:荻洲立兵中将
第16師団 - 師団長:藤江恵輔中将
>蒋介石
中国軍
総司令:蒋介石
陳 誠
武漢衛戊 - 総司令:陳誠
第9戦区第1兵団 - 司令:薛岳
第9集団軍 - 司令:吳奇偉
第25軍 - 軍団長:張發奎、王敬九
第4軍 - 軍団長:歐震通
第74軍 - 軍団長:俞濟時
第79師団 - 師団長:段朗如
第58師団 - 師団長:馮聖法
第51師団 - 師団長:王耀武
第51師団305団 - 団長:張靈甫
李 宗仁
第5戦区 - 司令長官:李宗仁
第3兵団、第2集団軍 - 司令:孫連仲
第71軍 - 軍団長:宋希濂
第30軍 - 軍団長:田鎮南
第42軍 - 軍団長:馮安邦