珊瑚海海戦  まとめ | 戦車兵のブログ

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大本営発表




日本で行われた、珊瑚海海戦における戦果の大本営発表は「米空母サトラガ型、ヨークタウン型、各1隻撃。




2万トン級給油艦大破。駆逐艦一隻撃沈。敵機撃墜98機」、ラバウルの基地航空部隊の戦果は「米戦艦カリフォルニア型1隻、甲巡洋艦ポートランド型1隻、撃沈。英戦艦ウォースパイト型大破。




米戦艦ノースカロライナ型一隻中破。




米中巡洋艦ルイスビル型1隻大破」、当方の損害は「小型空母沈没、飛行機24機」と発表された。




基地航空部隊の戦果は、雷撃の全てが外れて皆無であったが、当日会敵した艦はそれぞれ、3隻の巡洋艦が戦艦となり、まだ就役していないサウスダコタ級艦型まで付し、2隻の駆逐艦を甲巡、中巡に格上げされ、それぞれ撃沈、大破、中破となった。




この時からそれまで割合正確だった大本営発表の戦果水増しが始まった。




5月9日新聞では「連合軍の戦艦、空母戦力損耗にとどめの一撃。アメリカは日本艦艇に立ち向かおうとしないだろう」と報じられた。




5月10日、米国海軍省は「日本艦艇撃沈確実25隻、撃沈おおむね確実5隻、撃沈やや確実4隻」と発表、これを受けてニューヨーク・タイムズ紙は『太平洋上の大海戦にて日本軍撃退される。



軍艦17隻ないし22隻撃沈破、敵艦隊遁走、連合国艦艇追撃中』と発表、アメリカ国民は大本営発表に喝采をおくった。




5月15日、横浜空飛行艇が「ホーネット型空母2隻」を発見したが、戦闘には発展していない。



同日、潜水艦「伊29」は『大破した戦艦「ウォースパイト」(重巡洋艦オーストラリア)がシドニー湾に入港した』と報告、日本海軍は特殊潜航艇「甲標的」を投入し、5月30日にシドニー湾攻撃をおこなっている。



MO機動部隊は5月16-17日、トラックに帰着した。




5月17日、空母「翔鶴」は日本に戻り、呉に入港した。




本海戦により、日本海軍はポートモレスビー作戦を延期せざるを得なくなり、それまで順調に進められていた日本の進攻は止まり、5月7日の翔鶴、瑞鶴の南下が太平洋戦争における日本の水上艦艇の最南下地点となった。



これにより海上からのルートが閉ざされ、機動部隊の支援が得られなくなったにもかかわらず、日本陸軍は困難が予想されていた陸路からのポートモレスビー作戦を強行し、投入された南海支隊は補給の途絶する中、連合軍の大規模な反撃により、事実上壊滅することとなった。



真珠湾攻撃以来、連戦連勝でインド洋でも英艦隊に一方的な勝利を収めて自信を持つ主力機動部隊である第一航空艦隊の第一、第二航空戦隊から格下と見られていた第五航空戦隊が珊瑚海海戦で健闘したことは、一航艦や連合艦隊の過信を助長した、またラバウルの基地航空部隊による過大な戦果報告は、中央や連合艦隊にアメリカをたいしたことなしと見る一因となった。




5月14日珊瑚海海戦における五航戦の戦死者の報告があり、その損害があまりにも大きかったので、瑞鶴と翔鶴の両艦とも到底次期作戦に使えないことが判明した。



さらに17日呉に帰港した翔鶴は修理に三ケ月は必要であることが判明する。



こうして一航艦は三分の一の戦力を失った状態でミッドウェー海戦に臨むことになる。





井上成美中将は第四艦隊司令長官名で、攻撃隊の「空母二隻撃沈」の報を十分に確認することなく、正式に連合艦隊司令部に報告した。




のちに軍令部・連合艦隊司令部・南雲機動部隊司令部はこれを判断基準にミッドウェー海戦を戦ったため、米空母は現れても2隻と考えており、2隻なら積極的に打って出る確率は低いと判断した。



また、ミッドウェー海戦で沈んだ「ヨークタウン」もはじめ同型艦の「エンタープライズ」か「ホーネット」だと思い込んでいたため、「ヨークタウン」は思わぬ伏兵となった。



ただし日本海軍は「エンタープライズ」と「ホーネット」の他に空母「ワスプ」と軽空母が出現する可能性も検討していた。



アメリカ海軍は、すでにこの年のはじめには空母「サラトガ」が日本海軍潜水艦の攻撃で損傷し、この海戦で「レキシントン」を失ったため、次のミッドウェー海戦で戦力を100パーセント発揮できるのは「エンタープライズ」と「ホーネット」だけという苦境に立たされた。




しかし、損傷した「ヨークタウン」は真珠湾に帰港し、復旧には3か月かかるであろうと診断された損傷を不眠不休の突貫工事で応急修理、数日で戦闘可能な状態に復帰すると、アメリカ本土へ後退した「サラトガ」の艦載機を載せてミッドウェー沖に出撃した。




日本軍は、航空隊の再編成のため無傷の空母「瑞鶴」を後方にとどめており、日本海軍が総力を挙げるはずのミッドウェー作戦に参加させなかった。





本海戦は、緒戦の連戦連勝の中での初のつまづきであり、本海戦によるポートモレスビー作戦の延期、また戦果拡大を図る追撃の不徹底を理由に、攻撃を断念して北上した第4艦隊司令長官井上成美は、権威を損なう臆病風、攻撃精神の欠如と中央や連合艦隊司令部の指導者から非難された。




軍令部や宇垣纏連合艦隊参謀長はおろか、連合艦隊司令部、山本五十六連合艦隊司令長官、永野修身軍令部総長からも批判を受け、最終的に昭和天皇から「井上は学者だから、戦は余りうまくない」と評された。




嶋田繁太郎海軍大臣に至っては井上の将官人物評で「戦機見る明なし。次官の望みなし。徳望なし。航本の実績上がらず。兵学校長、鎮長官か。大将はダメ」と酷評した。




土肥一夫少佐によれば、連合艦隊司令部の電報綴には井上と第四艦隊に対する罵倒の赤字が書き殴られていたという。




井上は史上初の空母機動部隊決戦における総指揮官となり、寄せ集め部隊を率いて、手探りで戦いを進めた。



5月8日の海戦では、命令系統の違う陸上基地航空隊に出撃要請を出して拒否されている。




第4艦隊司令長官井上成美中将が作戦を断念して引き返したのは、残った空母「瑞鶴」一隻の航空兵力だけでは、上陸作戦を援護するには不十分という判断や、井上が機動戦について一撃離脱をすべきと考えていたことも影響している。




この判断は、米軍第17任務部隊は戦力を喪失して戦場を去り、珊瑚海へ向かっていた第16任務部隊(空母エンタープライズ、ホーネット)にも真珠湾への退避命令が出ており、彼らが攻略部隊のポートモレスビー上陸を防ぐことはできなかったという結果を軍事資料から読み取れるため、戦略的失敗であった。




しかし、当時ポートモレスビーおよび豪州大陸北部のタウンズビルの飛行場には米陸軍航空隊を中核とした計300機にのぼる航空戦力が配備されており、5月8日の時点でわずかに39機の使用可能機と17機の修理可能機を有していたにすぎないMO機動部隊が、ポートモレスビー攻略を成し遂げることはよほどの幸運でもない限り不可能であった。





アメリカ太平洋艦隊司令長官のニミッツは後年の著書の中でこの海戦を次のように評価している。




『戦術的に見るならば、珊瑚海海戦は日本側にわずかに勝利の分があった。・・・・(中略)・・・・。 しかし、これを戦略的に見れば、米国は勝利を収めた。開戦以来、日本の膨張は初めて抑えられた。・・・・(中略)・・・・。 さらに重要なことは、空母「翔鶴」の損傷修理と打ちのめされた空母「瑞鶴」の飛行隊再建の必要から、これら両艦ともミッドウェー海戦に参加できなかったことである。両空母がミッドウェー海戦に参加していたならば、この海戦の成果に決定的な役割を充分果たしていたであろう。』




この珊瑚海海戦には、綿密・迅速・正確な索敵が死命を制すること、米海軍機動部隊の迎撃戦闘機と対空兵器は威力があり、その対策が必要なこと、米急降下爆撃機は気づかぬところから急に爆弾を投下してくる恐れがあり、命中率も低くないことなど、日本海軍が直ちに取り入れるべき戦訓が多数あった。




しかし、井上成美を侮り珊瑚海海戦を軽く見た海軍首脳部は、海戦の内容を良く調べようとせず、貴重な戦訓はほとんど省みられずに放置され、ミッドウェー海戦で生かされなかった。