ジャワ沖海戦(ジャワおきかいせん)は第二次世界大戦での日本海軍航空隊と連合軍艦隊との間の海戦。
1942年2月4日、日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見した。
ドールマン少将
これは重巡ヒューストン、軽巡マーブルヘッド、デ・ロイテル、トロンプ、駆逐艦7隻からなるドールマン少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。
塚原二四三中将
この艦隊に対し、日本海軍第11航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将)はセレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機にて攻撃した。
この攻撃でヒューストンは250kg爆弾の命中弾が1発、マーブルヘッドは250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷した。
また、デ・ロイテルも至近弾で小破した。ドールマン少将は攻撃を断念し引き上げた。
この海戦後、日本軍は2月8日にマカッサル、10日にバンゼルマシンに上陸しこれを攻略した。
19日にはサヌール泊地に進入してバリ島上陸を開始し、未明には日本軍が飛行場を占領した。
連合軍艦隊はこの後、バリ島沖海戦を経て、日本軍のジャワ島侵攻に際して発生したスラバヤ沖海戦、バタビヤ沖海戦で壊滅することになる。
なお、本海戦で損傷したマーブルヘッドはセイロン島へ避退、そのままインド洋・大西洋を経由する大航海の果てに米本国へ生還している。