一昨日、お風呂で
と思った件について。
自分が持っているイメージって
実は考え方や行動に大きく影響を与えるんだな
と気づきました
今回は、その過程を書いてみます。
我が家のサンタ。
従姉からのプレゼント。めっちゃお気に入り♡
「委ねましょう」
とか
「サレンダー」
と言った言葉を耳にしたことはありますか?
私は、卒業したカウンセラー養成スクールで
何度も何度も耳にしました🐙
委ねる=女性性、とも習ったような。
↑ちょっと自信ないですが
*
息子が生まれる前のこと。
私が、
仕事が辛くて辞めたい、でも
辞めることは(生きる力を失うことのようで)怖い
と悩んでいた時に、言われたことは
「夫を信頼して(仕事で稼ぐということを)委ねたら?」
「あなたがサレンダーするほど、
彼(夫)は力を発揮する(もっと稼ぐようになる)よ」
当時、理屈は(頭では)納得していたのですが
どうしても怖くて、辞めることはできませんでした。
なぜなら、私は、委ねるという言葉の意味を
・養ってもらうこと
・相手に命を預ける(生殺与奪の権を与える)こと
・委ねた相手の意見は絶対服従
といった感じに受け取っていたから。
子どもの頃に
誰か(父)に従って生きなくてはならない、
(母のように)収入がないから離婚できない、
そんな状況は嫌だ!
手に職をつけて自立しよう!
と決意して、その想いを糧に生きてきたのに。
委ねる(=仕事を手放す)ということは、
自立を手放すということ。
子どもの頃に感じていた、息苦しさ・生きづらさを
再び感じる毎日に戻るということ。
自由を剥奪される
自分の意思は持てない
そんなふうに思っていました
私の思っていることが真実なら、
そりゃー誰だって委ねるのは嫌だよね(笑)
でも、本当は(スクールで言われていた意味は)
こんなこと。
・信頼して委ねる。
・流れに身を任せる。
・人事を尽くして天命を待つ。
・負けを認める。
引用元はこちら↓
当時、まだスクールでトレーナーしてたねむねむ。
私の感覚と、全然違う
いや、当時もね、知ってはいたんです、言葉の意味。
”信頼して”委ねるんだよなって。
信頼するって、ね。確かに
”相手に任せる”って面もあるけれど
だからって、
”自由や自分の意思が通らない”なんてことは無い。
でも、
当時は、こんなふう↑には考えられなかったの。
「委ねる」という言葉に対する、
自己流のイメージが強すぎて、
そのイメージに縛られていたから。
委ねる=奴隷になる、ってぐらいの
勘違いな概念を握りしめてた。
そして、握りしめていることすら気づかず
それが真実だと思い込んでいたのです。
*
こういった経緯があったから、入浴中に
委ねるってこういう感覚かな?
って想いが湧いてきたんだろうな、と思いました。
そして、体感で理解したから、
間違って握りしめていた概念を手放せた気がします。
思い込みって、怖い
気づけたら、笑い話になるけどね。
★ 今日の気づきのまとめ ★
何かしら、悩んで進めない時は
自分が握りしめている思い込みは何だろう?
言葉や状況に対する”前提”が間違ってない?
という問いをたててみるとイイね。
併せて、
その時の体感覚に注目
してみると分かりやすいかも。
おまけ。
委ねる、とは他者に任せることだけど
やっぱりやめた!も、アリ。
私の人生の選択権はいつも私にある。
何を選択しても”自由”はいつも、私次第。