課題を初めて実践して、

その過程を振り返ってみると

感覚をおざなりにしてたことに気づいた1日目

 

その反省を活かし、感覚に集中してみたら

初めて身体の声が聞こえた2日目

 

この二日間を思い出したら

 

ああ、ホント、思いやりがなかったな

身体さん、ごめんね

 

自然と、こんな思いが湧いてきて

涙が出てきた。

 

私は、どれだけ身体を無視してきたんだろう。

今にして思えば、何度も身体からサインは出ていたのに

その度に、気のせい、とか、甘えたらダメだ、とか。

見ようとも、感じようともしてこなかった。

 

それでも身体は

休むことなく、息をして、消化して。

ここまで生きてこれた。

 

”自分を愛そう”って、さんっざん見聞きしてきたし

その努力はしてきたつもりだったけど。

 

全部、頭の中だけだった。

表向きの、自分を愛する行動をしている時はあっても

そこに自分を愛する”想い”はなく

なんかやってたら、そのうち感覚が変わるんかな大あくび

って感じだった。

 

言われたから、書いてあるから、やる。

ただ、それだけ。

 

自分の意思でやってるつもりだったけど

字の如く、思考による選択であって

意”志”じゃなかった。

 

やってみて、どう感じたのか

感覚が変わったのか

そこに対する観察をしようとしていなかった。

 

自分「」自分を愛するって意識も覚悟もなかった。

 

そのことに気づいて。

 

「自分でしか自分を大切にできない」

「自分を愛せない人は(本当の意味で)他人を愛せない」

「幸せは、”なる”でも、”してもらう”でもなく

 幸せ”である”(状態)のことをいう」

こういった言葉たちの意味も腑に落ちた。

 

幸せであるとは

自分「で」自分を「満たす」

ことができるってこと。

 

その基礎が、土台となるのが、全受容。

そして、

全受容の、具体的で分かりやすい手段が、

セルフプレジャー(エロいものだけじゃなく)。

 

・・・なのだろう。

まだ、今は 推測の域だけど。

数ヶ月後には、なのだ!と確信に変わる予感。

 

これからの自分の変化や気づきが楽しみ♪ニコニコ