「遊び」という人としての本能 | ジョブスケの人生全力疾走

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 先日、小説家「司馬遼太郎」の本を読んだのですが、その中のある一文が心に残りました。その事をずっと考えていたのですが、僕なりの解釈がやっと出来ました。

 

 

「遊戯(遊び)とは、人が生死の欲望から逃れられる瞬間である」

 

 

 当たり前の事ですが、人に限らず生物は、いつか必ず死を迎えます。その中でも「死」という概念を持っているのは、「人」しかいないという事をどこかで聞いた事があります。

 

 

 そして、人の行動(生活と言い換えても良いかもしれませんが)とは、「いずれ迎える死の瞬間まで生きてゆく」という考えに基づいているのだそうです。

 

 

 そこには常に「不安」があり、死から逃れたいという欲求が「遊び」を生んだ、いや、防衛本能的に生み出した、というのは言い過ぎでしょうか。

 

 

 仮にその前提で考えてみると、遊びは生産性や客観的な意義などとは無縁であり、その行為をする理由を問うのは、無粋と言えるかもしれません。

 

 

 また、「遊びだからこそ本気で取り組む」という事も、あながち間違っていないように思えます。特に男性は、はたから見ると、しょうもないと思われている事を趣味にしている場合が多いのではないでしょうか。(僕も含みます)

 

 

 たとえば、アイドルについて考えてみたいと思います。かわいい女の子が、歌を歌ってダンス踊っているのを見ているだけだも、男性ならば楽しくなるのではないでしょうか。自分好みなら尚更です。

 

 

 ですが、ライブに行ったからといって、彼女たちと親しくなれるわけでも、仲良くなれるわけでもありません。

 

 

 ローカルアイドルなら、物販という形でチェキ撮影&交流会など、話をするチャンスはあります。また、メジャーアイドルでも、お金を出せば握手が出来る事もあります。

 

 

 しかし、あくまでも「ファン」という立場なので、アイドルのプライベートに立入れるわけではなく、どんなにCDを買っても、ライブ会場に通っても、友だちにはなれません。

 

 

 ましてや、アイドルは競争が激しく、自分が推している娘が、ある日突然卒業する(アイドルを辞める)こともあります。そうなれば、今までの活動は、まさに無に帰す事になります。

 

 

 客観的に見れば、時間とお金の無駄遣いをしているように思えるかもしれません。

 

 

 しかし、当の本人がそれを納得しているのであれば、それは有意義な時間を過ごせたと言って良いと思います。趣味として、遊びとして楽しめているのであれば、周りがあれこれ言う必要はありません。

 

 

まさに、「生死の欲望から逃れた瞬間」を満喫出来たのですから。

 

 

 こんな事を言っている僕でも、理解の出来ない趣味を持っている人はいます。しかし、周りに迷惑をかけないならば、それはありだと思います。

 

 

モデル

・神田みつき

・霧乃真姫(絶対病的)

 

*写真の掲載については、神田みつき氏に了承を得ております。

 

 

アイドルユニット「ギルドール」「絶対病的」のプロデューサー「神田みつき」

自身もアイドル活動中!!!