硫黄島②の記事はここから。
続いては、
日本軍の拠点となった摺鉢山へ移動です。
摺鉢山は標高169mの山。
山道は島の隆起によって、
壊れては舗装の繰り返しだそう。
山頂からは南海岸が一望できました。
(米兵の上陸した海岸)
こちらは、
●第一御楯特別攻撃隊
●第二御楯特別攻撃隊
アメリカによる陥落後、
B-29発進基地となったサイパン。
そのサイパン復仇攻撃のために
特攻で亡くなった方々の慰霊碑です。
その横には、
硫黄島戦没者顕彰碑。
硫黄島へは日本全国から召集されたので、
各都道府県で採取された石が
はめ込まれています。
そして、米軍上陸記念碑。
米軍にとっても硫黄島での戦いは
多くの方が亡くなりました。
南海岸の反対側、千鳥ヶ浜です。
沈船が隆起のため半分砂浜に出ています。
(アメリカによる硫黄島占領後の話)
(アメリカによる硫黄島占領後の話)
再度バスに乗車し、
大阪山砲台へ。
コンクリートで出来た
立派なトーチカが残っていました。
内部を確認でる位の隙間もありましたが、
中には入れません。
硫黄島には高射射撃のため、
摺鉢山・玉名山・大阪山の3箇所に
砲がありました。
当時はコンクリートに囲われていましたが、
今では遮るものがありません。
この40口径15cm砲は、
軽巡洋艦に装備されていたものと同じもの。
砲身には銃弾がめりこんでおり、
手で触ることができました。
へ続く
