どうも、桃月です^^
自分が勝ち負けにこだわっていた頃、友人に会うということを避けていた。
何者かになっている友人と何者にもなっていない自分を比べて
惨めに感じたくなかったから。
自分がちゃんと結果を出せてから会おうと勝手に決めていた。
その自分が思う結果って「何者かになっている自分」になっているってことで、
何者かになった自分が友人と会って何をしたかったかというと
すごいと言われたかったり、自慢して優越感に浸りたかっただけだった。
自分のことをバカにした人を見返して、見下したかっただけ。
謝ってほしいとは思ってなかった。成功してる自分を見て悔しがってほしかったんだと思う。
優越感に浸りたいってそれだったんだと思う。
でもその願望が叶ったとしても、その先にあるものってたぶん孤独で
「何者かになった自分」がなくなったら、また何者にもなっていない自分に戻る。
なんかさ、そういうのマウンティングっていうの?
しょーもないよね。
自分が本当に望んでた世界ってマウンティングしまくりの世界だったっけ?
ただ純粋にやりたいと思ってることをひたすら楽しんでやってる世界だったと思うんだけどな。
マウンティングしたいしたい病で自分のやりたいこと忘れちゃったかい?
それとも本当にやりたいことをして叶えたかったのはマウンティングすることかい?
違うと思うんだけどな。
今も見返したいって思うかい?それとももう十分かい?
十分なら、もう我慢してたことをやってもいいんじゃない?
もういいでしょ。
ずっとやりたいのに我慢してたんだから。
いいんだよ。やって。
何者にもなってなくてもあんたはあんたなんだから。