昨夜、突然の橋幸夫さんの訃報に驚きました。
ジュリーが5月26日の大阪フェスのライブのMCで語っていたのは
『橋幸夫さんの認知症の公表は、本人が望んでいるのかな、夢グループの社長の意向では?(というような話しをして)橋さんはコンサートで3曲は歌う。出てきた橋さんは「私は誰ですか?」そこに客席からの「橋さ~ん」という返しも流したらいいのに。・・』
ジュリーは、夢グループの橋さんのコンサートの映像をみたからの発言なんでしょうね。
私は橋さんの認知症の公表は、コンサートの宣伝という側面があるのでは?という感じは持ちました。認知症ではあるけれど普通に生活は出来ています、という認知症患者さんのお話も聞いていたし・・ ところが、公表されてから数か月での訃報に、けっこうショックです。死因は高齢者に多い肺炎だそうですが。橋さんの82歳という年齢に、色々と先のことを考えざるをえません。
 
「いつでも夢を」流行りましたね~ 
ただし「霧氷」のレコード大賞には、子どもの私とて、なんで?聞いたこともない。大賞受賞には裏があると、もっぱらの噂でした。それだけレコード大賞が大きな権威を持っていた時代でした。
 

 

橋幸夫さんは、私が小学校の低学年の頃には、西郷さん、舟木さんと並ぶ、御三家と称される青春歌謡スターで、初めて行ったコンサートは、橋幸夫ショーでした(^-^) 母が無料のチケットをもらってきたからなんですが、当時は子ども過ぎて殆どコンサートの記憶は有りません。
10年以上前ですが、ジュリーの音楽劇の前にジュリ友さんらと、ジュリーの前にファンだったのは誰ですか?との質問をしてみたら、舟木一夫さんとの答えの方がいらして、実は私も舟木さん!と盛り上がりました。
もっともそれは、5才ほど年上の従妹のお姉さんが「西郷さんが好き!!」と日頃から公言していたので、それなら私は舟木さんと、お姉さんに対抗していたのです(^^; でも一人選ぶのなら御三家の中では舟木さんでした、私は。今でも活躍されていてスゴイです!!
 
従妹のお姉さんは「私は西郷さんのお葬式があったら、絶対行く!!」力を込めて言っていましたが、なんで葬式やねん・・と小学生低学年の私でも謎?な発言でした💦 (西郷さんはすでに亡くなられました。)
従妹のお姉さんからはその後、スパイダースの「夕陽が泣いている」を教えられ、なんとカッコイイ~!!御三家なんて、もう古い! 始めて耳にしたGSの新しいサウンドに、子供心に目と耳を開かせられました。
その後、ザ・タイガース、ジュリーが登場するや否や、あのスパイダースもどっかにぶっ飛ばしてしまい、一気にGSから当時の歌謡界のトップに躍り出るのを目の当たりにしたのでした。とにかくジュリーの存在は圧倒的で、それまで見たことが無い美しい人が現れた✨という存在でした。
従妹のお姉さんの家にはオーディオルームがあり、洋楽やローリングストーンズの「山羊の頭のスープ」のアルバムがあるお宅で、何もない田舎の私の家とは大違いの音楽環境でしたが、もう連絡を取らなくなって数十年。。今でもお元気かしら・・
 

先日お知らせした、横浜の放送ライブラリー(神奈川県民ホールに近い場所にあります)の企画展「テレビとCMで見る1970ー1980年代」

ジュリ友さんが行かれたそうで、レポを頂きました。有難うございます(^-^)

 

 

画像は神戸新聞より

 

(J友さんより)
横浜放送ライブラリー
テレビとCMで見る1970-1980年代
行って来ました。
でも、残念〜💦 写真はNGでした。


なので中の様子や、ジュリー関連の話題をお知らせします
年代別の出来事や、話題作のパネルの展示
★1975年、「悪魔のようなあいつ」(時のぎゆくままに)の表示が有りました。

★1977年レコード大賞
「勝手にしやがれ」のEP盤展示有り。

★時を越えて〜フィロソフィア映像
1975年のバック音楽は、「時の過ぎゆくままに」

★ザ・ベストテン、年代別の第1位の曲、&年間ベスト10
「ダーリング」
1978年6/22〜8/3まで7週連続1位

年間ベスト10
4位「サムライ」
6位「ダーリング」

1979年 3/8 第1位「カサブランカダンディ」

★CMポスター展示
パルコのポスターが有りましたが、ジュリーは有りません。

★他、テレビガイド、テレビドラマの台本、ウルトラクイズのハット等展示

1970年〜1989年のCM映像
(ジュリーは有りません。)

★TVドラマ上映
「悪魔のようなあいつ」の上映有り。
行った日は、他のテレビドラマが上映されてました。

なので、ライブラリー視聴ブースで、
「マチベン」(一徳さんゲスト回)を見ました。
西澤守さん(ジュリーの付人)出演の、1982年の「男達の旅路」スペシャルも見ました。
懐かしい映像等、楽しかったです。♬

______________

 

詳しいご報告を有難うございます!!

企画展だけではなく、ライブラリーの視聴も出来るのが嬉しいですね!

一徳さんがゲストの「マチベン」は放送当時、 ザ・タイガースの仲間同士でのドラマ共演がとても嬉しくて、ドキドキしながら観ました!!ジュリーとサリーが共演する、それだけではないドラマの描く内容の深さには心から感動しました。「安楽死」がテーマというと重く感じるかもしれませんが、まだ一度も見たことが無いという方には是非見て頂きたい、ジュリーとサリーの友情がドラマと二重写しになり、本当に考えさせられる良質のドラマでした。

 

NHKアーカイブス、是非 見てください!

 

 

 

映画の「国宝」は6月と8月に2回見ました。
元々原作は8年ほど前の朝日新聞朝刊の新聞小説で、歌舞伎界の内側を描いてとても面白く、新聞が来たら毎日真っ先に読みました。でもまさか映画化されるとは思いませんでした。長い長いお話のうえに、歌舞伎界を描きながら歌舞伎役者が一人も出演していないとは・・ これはどんな作品になるのか?と不思議でしたが、原作の世界を失わずに素晴らしい美しい映像になりました。
NHKのスイッチインタビューが今夜から再放送です。映画を見て感動した方は是非どうぞ。
 

 

 

 

EP2もありますよ。
 

 

「ナンバ一番にファニーズは不合格だった」というタローさんのお話について、以前にgooブログで紹介しています。ファニーズは準合格でした。

 

※一部を抜粋させていただきました

『(ザ・タイガースが誕生するまで )   

昭和41年のオーディションで京都からやって来た二組のGSが鉢合わせした。ファニーズとアイビーウエスト二組の少年達はなんとかオーディションに受かろうと熱演した。

オーディションでは、わずかだったがアイビーの方がプレーが上手なんですね。 

そこでアイビーを合格、ファニーズは準合格ということにしたわけです。いかにも京都のボンボン達が集まったグループという感じで審査員達も好感を持ったものでしたよ。

落ちたファニーズの連中ががっかりした表情で京都に戻った姿を今も覚えていますもんね、」

梨羽マネージャーの話』

 

ナンバ一番が閉店した理由。

 

※一部を抜粋しました。

<Kisaragiさんより>ナンバ一番に関係した者です。
昭和43年有馬温泉の満月城が火災を起こし、消防法が厳しくなりました。ナンバ一番の建物が古く消防法に適合しなくなり、昭和44年9月に閉店して改装を一時、経営者は考えましたが、採算が取れないと判断して、従業員は解雇されました。
写真の「お知らせ」の看板内容は、改装の間お休みすると言う内容です。「ホステス500名募集」の看板は近くに大きなジュニアと言うナイトクラブ?が開店するに当たり、ホステスの面接会場にナンバ一番閉店後に会場を貸した時の物です。昭和45年くらいだったと思います。

 

以上 ナンバ一番について、詳しいお話を頂いたkisaragiさんのブログは、ブログサービスの終了で読めなくなりました。当時の貴重な文化的価値のある記録であったので、とても残念です。

 

ジュリーとピーのナンバ一番についてのインタビューが読めました。

とん掘とは道頓堀のこと

 

ジュリーのインタビューを抜粋しました。

『沢田へのインタビュー記事によれば、「メンバー全員二〇代以下の若いバンドはほかに無くて、ほぼそれだけの理由で受かった」という。1日30分のステージを5回やり、出演料は7千円。だが半年後には、ナンバ一番で一番の人気グループとなった。』

え~っと・・・実は準合格、不合格です(-_-;)

 

 

明日の放送です。

ミッキー吉野とワイルドワンズのコラボLIVE

https://www.twellv.co.jp/news/whatsnew/2025/115445/

 

 

ただいま、横浜の放送ライブラリーで企画展が開催中です。ジュリーの映像も有るのかも??

https://www.bpcj.or.jp/event/detail/144696/

 

 

 

 

思い出したことなど追記します。曲目を、他のブログ様を参考にさせていただき、訂正しました(^^; 

ライブハウスのE・Sアローズは、ジュリーが音楽劇をやっていたシアター・ドラマシティのすぐ近くで、音楽劇以来 久しぶりで、懐かしかったです。

大阪の衣装は、タローさんは白の上着。ジーンズ

ピーは黒の前開きシャツの下に、黒地に白いアルファベット柄のTシャツ
サリーの上着は白っぽい色で、下に深緑色のシャツにジーンズ。

3人ともラフな格好でした。

サポート・メンバーには右にネロさん、タロー、ピー、サリーを挟んで、左にジェフさん。タローさんのハーモニカがちょっとくらいズレたとしても、ご愛嬌(^-^) タイガース時代を思い出しました。「君だけに愛を」で、タローさんに指さされて嬉しかったですわ~(^-^)

 

ただ、サリーに対してアキラさ~ん、という男性の掛け声がありましたが、いやいや一徳さんでもアキラさんでもないでしょ!今日は絶対にサリーでしょ!!タイガース時代からサリーと呼んでいるので、私には他の呼び方が出来ません。近くの男性の大きな笑い声などがかなりうるさく、ライブ中は迷惑に感じました。

 

そして、ライブ中のトークで一番のツボ、

それはタローがナンバ一番のオーディションを受けたが不合格。その後、タロー宅に舞台に穴が空いたから出て欲しいとナンバ一番の村上さんから電話連絡があった。うちには呼び出しではない電話があったから。その後も呼ばれるようになり、だんだん出番が増え、ファンも出来た。』

ナンバ一番のオーディションは、ピーが大阪まで行って申し込みをしたそうですが『ザ・タイガース研究論(磯前先生他)』の年表によると、

1966年

※1月16日、ナンバ一番のオーディション

※2月1日、オーディション合格。倍率は40だった。

合格したから出演できるようになったと今まで信じられていたはず。 ところが合格してなかった!不合格だった!! 真相は他のバンドが穴をあけて、その穴埋めのために出演でした。

 

この不合格については、かつてナンバ一番の関係者の方がブログを書かれていて、そこには「ファニーズは不合格でガッカリしていた」合格は他のバンドだと、ちゃんと書いてあったのです。

その時はアレ 話が違う・・と思いましたが、実際にナンバ一番の関係者が書いているのだから実は不合格だったのか😓 とちょっとショックでした。

 

前に書いていたgooブログにナンバ一番のことを書いたら、関係者の女性からコメントも頂きました。ところが、残念な事にそのナンバ一番の歴史を詳しく描かれていたブログは、今はもう消えてしまって読めなくなっていて、ほんとに残念です。

しかし、今回 タローさんの口から「オーディションは不合格」とのお話があり、やはりそれが正確なことだったのかと証明されました。

 

不合格でもタローさんのお宅に、呼び出しではない直通の電話があり、すぐに繋がったことで、ファニーズが出演できました。ナンバ一番側は、穴埋めの出演バンドを大急ぎで捜していたのでしょう。もしかして電話が即 繋がらなかったら、他のグループが出ていたのでは。

ファニーズならば、いつか必ず誰かに見出されていたと思いますが、ザ・タイガースの誕生はもう少し遅れていたのかもしれません。

 

 

 

大阪のピータローサリーライブに参加しました。

 

 

場所はジュリーが音楽劇をやっていたドラマシティの横のライブハウス、1時半からで3時過ぎには終わりました。

 

 

サポートメンバーは、右端に小柄なネロさん、左端はジェフさん。


タローが、ライブはだんだん良くなっている。ピー、大阪はホームグラウンドです。
タロー、5人のうち3人が揃えばほぼタイガースです!

(殆どタローさんが喋り、ピーが混ぜ返し、サリーは聴いているという感じでした)


タロー、ジュリーのファンサイトでブログをやっている人は、楽しかったと書かないように。ジュリーがひがむからやめなさい(^^; ジュリーがいた方がいいとか、それは僕が面白くない。

ライブの途中の休み時間は有りません。

1部の曲は、ビコーズ、ボーイズ、ルート66、ヘンリー八世。

ヘンリー八世では、タローがドラムを叩きます。あとで、ピーは座って楽していると思っていたけど、疲れたと話していました。

(ピーが歌うヘンリー八世には、ビューティフルコンサートを思い出して、私的に感激しました。あの時は本当にピーはこれで最後だと思っていました(T_T)

2部はサリーが登場して北中トリオ3人でトークショー。

サリーは今回のライブはタローに誘われた。3人でやる機会があるかわからないから。タローが、サリーは役者は飽きているだろうと。
元々、この3人が原点で、ピーがトッポを連れて来た。ピーのすいません。に観客爆笑(^^;

バンドをやろう、ピーのドラムは独学です。ビートルズをやるとボーカルを捜すことになり、ジュリーを誘った。それが成功の元とサリー。ジュリーじゃなかったら、あそこまでいってない。(当然です)

 

ピーが話をつけてきて、ナンバ一番のオーディションを受けたが不合格。その後、タロー宅に舞台に穴が空いたから出て欲しいとナンバ一番から電話連絡があった。始めてジュリーが歌ったのは、ミスタームーンライト。

その後も呼ばれるようになり、だんだん出番が増え、ファンも出来た。忙しくなり岸の里で合宿をすることに。当時の部屋割の話しや、トッポは1人部屋で、あの人は1人がいい人だった。合宿は楽しかった。

あの頃が一番楽しかった。

ピーが北山修も言っていたけど、売れる前が一番楽しい。

(つい、ピーの話が先に飛びそうになるので、タローがジュリーの話は無いのかと、毎回軌道修正です。ジュリーファンを気にしている様子(^^; )


トッポは教員のお母さんが忙しく、殆ど1人暮らしで、お母さんが冷蔵庫に食べ物をいっぱい入れてくれていた、小遣いも貰っていて、それを目当てにマージャンで巻き上げたとサリーが。 4人で足りるので、ジュリーにマージャンは教える必要が無かった。ジュリーはおとなしくお茶を入れていた。2学年の違いは大きい。
夜に小学校のプールでパンツも脱いで3人で泳いだら、守衛に見つかって服を持って裸で逃げた。

目黒ハイツにいた頃、皆がいない日に(ファン対策で)外出は出来ないジュリーが、皆どこにいったんですか?とサリーのお姉さんに聞きに。その日は姉のフミコさんの誕生日で、ジュリーがお寿司を取ってくれたそうで、ジュリーは良い奴だな〜 それはフミコさんからサリーが最近聞いた話だとか。

 

3部ではサリーが歌います。ローリングストーンズのテルミー。

僕のマリー、銀河のロマンス、青い鳥

サリーの可愛いいフリ付きの、こっちを向いて♬ (サリーのフリが可愛いかったです。)

君だけに愛を、シーシーシー

タローさんが、自分とサリーの間にジュリーがいる気がする。

ラストはシーサイドバウンド、客席もオールスタンディングで盛り上がりました。

 

最後に、記念撮影も有りました。

想像以上にとても楽しかったで~す。♬

 

 

 

 

 

ただいま開催中、ピータロー&サリー 

Pee Taro & Sally LIVE
九州ライブツアー8/26鹿児島、8/28熊本、8/29福岡

8月29日の福岡のライブに、地元のジュリ友さんが参加されたそうで、レポを頂きました♬ 有難うございます!!

 

(kayokoさんより)
LIVEハウス初参加で、思った以上?の盛り上がりにビックリでした😃✨ 
楽しかったです(^^♪

 


3:45きっかりに始まり 1部はタイガース時代の洋楽🎶
4曲のみであっという間に終了😂


2部でサリーが登場して3人でのトークショーは いつもの北中話からジュリーの勧誘、裕也さんにスカウトされて ナベプロでよかった!話etc。
サリーは殆ど忘れていて そうやった?…と笑いをさそってました。
3部はタイガースの曲で盛り上がり 終了は5時半過ぎだったと思います。
サリーのど真ん前の席で ギター持たずに踊りながらの『こっちを向いて』を見られたのは超LUCKY😆👍

私の回りは殆どが遠征組さんで鹿児島、熊本を回ってきたと話しておられました。
東京からの方は今日一度帰って 明後日の大阪へ!と…😅
タイガースメンバー全員を追っかけているそうです。
最後は後ろに「ピー、タロー、サリー、楽しい時をありがとう♥」だったかな?横断幕も出てました✨

 

席は小さなテーブルに4人ずつのお席🪑で、私は地元民です、って言ったらビックリされました😆
皆さん、東京、名古屋、広島…など。タイガースのメンバーは幸せですね、全国から駆け付けるファンがいて🥰
実はジュリーファンがかなりいるのでは?と思ってたんですが、そうでも無さそう…😅
でも久々に ボックスステップ踏んだり シーシーシーの手拍子したり懐かしかったです。タローはこの前のTVの時より動きがいいように見えましたよ😉👍

会場のGATESビルは 昔 福岡玉屋というデパートがあった場所でよく行ってたので、そこでタイガースの曲を聞いているのが何だか不思議な感じでした😂

向かって右がサリーのベースです。



ネロさんとジェフさん?のコロガシの上には 銀河のロマンスの歌詞が貼ってありました😅
演奏曲目も各所で少しずつ違うようで、次の大阪も楽しみですね✨
サリーの、低音がいいです👍

 

会場のGATESビル

 

レポを有難うございました☺️👍️

今朝方、ショックなニュースがTVから流れてきました。

ジュリーも舞台に立った、大阪道頓堀の松竹座が閉館。

ここでジュリーは2000年代初めに、桂春団治や夫婦善哉の舞台に出演しました。

舞台人としてのジュリーの新たな魅力と可能性に大いに感激し、改めて惚れ直した、私には記念すべき劇場でした。

 

千秋楽の舞台が終わってから、劇場裏の出入り口で出待ちをしたことも有りました。その当時はまだ、出待ちをしても関係者から追い払われませんでした。

もう10数年ほど前になりますが、ジュリ友さん達とまだかまだかとジュリーの出て来るのを待ちました。劇場裏はジュリーファンで押すな押すなでいっぱい。道ゆく若い人から興味津々で「誰を待っているんですか?」と尋ねられ。沢田研二です!!当時のジュリーも長年マスコミには登場していなかったから、一般人からはどう思われていたのやら・・。

30分ほど待ったような気がします、ようやく出て来たジュリーが、関係者さん達一人一人に丁寧に挨拶をして、タクシーに乗り込むのを、興奮を隠しながら皆で静かに目撃。

ジュリーが去ったあと、たった今見たばかりにも拘らず、はて?「ジュリーはどんな色の上着を着ていた?」自分の記憶に自信が持てずにジュリ友さんに尋ねたら、灰色、赤っぽい色、ベージュ色、と皆の言う色合いが全部違う!人の記憶はかくもアヤフヤなものかと知りました(^^;

ジュリーが挨拶をしていた様子は、今でもハッキリ目に浮かぶのに、来ていた服の色はその日その時でもアヤフヤだったんですよ~💦

 
約100年前に造られた松竹座は、今は昔の姿は外観を残すのみとはいえ、ネオルネッサンス様式の凱旋門のような重厚なファサードが美しい✨️✨️ 訪れる度に、繊細な意匠にいつも見惚れていました。
 
下の画像は6月の「反乱のボヤージュ」の初日。元j事務所のタレントが出ていた割には客入りはいまいち・・考えさせられる良い舞台だったのに。(岡本健一の息子が出ていました)
 
松竹座は大阪で歌舞伎が上演されている劇場で、松竹新喜劇やOSKのホームグラウンドでもあるはず。ここが閉場したら、次からどこで上演するのかしらん。威風堂々とした歴史を感じる劇場で上演することはステイタスでもあるはず。松竹座にはせいぜい、1年に1~2回くらいしか行かない自分だけれど、かつて道頓堀に沢山あった歴史的な劇場のひとつが無くなって行くのは寂しいことです。
 
 
今日の「あんぱん」
「やさしいライオン」泣けました~😢
 

 

そして、最後に手嶌治虫先生の画像が
私は左上の「どろろ」に反応しました!
連載の1回目から読んでいました。当時としても漫画で時代劇は珍しかったですが、妖気が漂う好きな作品でした。なんで、タイトルは百鬼丸じゃないんだろう?と思いましたが、後年、映画化された時は嬉しかった、主役は八木さん役の妻夫木さんだったような気がします~(^-^)
 
崇と手嶌治虫との来週のやりとりが楽しみです(^-^)
しかし、崇と治虫さんは似てますね~

 

サリーがベースを持って、岸本加世子さんのインスタに!

お隣は藤山直美さんだそうで、説明がないと誰だか分からないです😅

何故、サリーがベースを?
ちょうど今、ピータロー&サリーで九州ライブ中だから?😳

KBS京都、HPに沢山ジュリーのアルバム画像が載っていました。








ジュリーの白河でのステージ転落が、週刊女性自身で記事になりました。

個人的には、長渕さんや百恵さんの記事の中身が、どんな話かと気になるところです😅



ジュリーの11月8日の武道館のチケット、注釈付きバックスタンド席が6600円で発売になりました☺️
あの、ステージの後ろ側の席です。
ジュリーは後ろ姿だけど、近いですよね。何席くらいが追加になるのでしょう?
 
武道館のチケットが売れているからこそのバックスタンド席が追加発売、
席の抽選に落選するはず😓
 
 

 

https://x.com/yumemirumajo/status/1960703470086041779?t=AY8rzR97ietLegDx7zUOjg&s=19