今回は、流行り病の「水疱瘡」から復活した愚娘はる子も同行。

水疱瘡で自宅軟禁状態だった彼女は、暇つぶしに「変顔を極める」、という作業に没頭していた。

ただひたすら、己の顔面の限界と闘う。

一応、彼女なりのキラーフェイスを身に付けたらしい。
ただし、あまり無理をすると顔面に負荷がかかり、鼻血ブーになるので要注意。

それはさておき、せっかく長野市に来たからにはやはり、「牛にひかれて善光寺」。


早朝のお務め帰りの善光寺住職より、「御数珠頂戴」を戴く。
かなり朝早い時間だったが、御参りに訪れる人の多さに驚く。ふと見ると、思いつめたような表情の方もかなりいる。何か、身内の健康であったり、自身の悩み事であったり、のっぴきならない問題があって通い詰めているようにも見受けられるが、真剣に手を合わせる人々を目の当たりにすると、身につまされる様な気持ちになる。
参拝後、長野の町を散策。
長野オリンピックの記念碑にて、

一位は娘に譲る。
ひと仕事終えた後、地蔵峠の山道を越えて小諸~上田方面へ。
途中、川中島の戦場跡地にて。

教科書にも載っている有名な銅像なんだが…………………国主たる信玄と謙信が、こうもむき身同士で太刀を交えるシーンが実際にあったかどうか………………?
敵の大将が眼前に現れているというのに、床几から腰を上げすらしない信玄、「動かざる事山の如し」が過ぎやしないか。
かたや謙信…………………この像を間近に見て初めて思ったが、この態勢から信玄に致命傷たる一太刀を浴びせるのは不可能である。次のモーションにて馬上より飛び降りていったか。
実際、川中島の戦において武田軍上杉軍併せて相当な数の戦死者が出たようで、周囲には信玄側が建てたという首塚が多数あり、建立の際信玄は敵味方厭わず丁重に葬ったという。
これを伝え聞いた謙信によって、有名な「敵に塩をおくる」という逸話に繋がっていく。
それはさておき、我が一族は天高く馬肥ゆる秋といった秋空の下、地蔵峠の山道を進む。

見渡すかぎりの田園が広がり、道端には秋桜が左右を彩る。
都会育ちの自分には馴染みも思い出も無いが、どこか懐かしさを感じさせる日本の原風景だ。
途中車を停め、頭垂れ下がる稲穂を刈る老婆に話を聞く。
「この辺は良いところだよ…………何にも無いけどね……………なんにも無いけど良いところって、どういう事だろうね?、アハハ」
何も無いという事に疑念を抱かず、田に苗を植え、育て、そしてやがて秋がきて稲を刈る。季節の移り変わりと共に、日々のルーティーンがあり、そして人生を投錨していく。
笑いながら話す老婆の瞳を見ていると、「お前さんにゃ、分かるまい」と言われているようで、実際都会の喧騒の中、物欲にまみれた自分には老婆の禅問答に答える術は無い。
地蔵峠の頂きには、小ぶりながら展望台がある。

病より完全復活したはる子が、眼下に広がる信州の地を我が手中に治めんと、吠える。
無事、仕事を終え帰京する。
空を見上げると、やはり、秋………………朝晩の空気の冷たさも、夏が去っていった事を感じさせる。
シーズン始まるねぇ…………………。