その昔、「八時半の男」と呼ばれた人物をご存知だろうか?
1960年代、読売巨人軍で投手として活躍された、宮田征典氏がそれだ。
同点、或いは僅差のリードという試合展開において、終盤から登板する…………そう、今で言うストッパー。
勿論、宮田選手の現役時代にセーブポイントやセーブ王といった制度は無く、ストッパーとしては草分け的な存在なのだが、試合終盤、だいたい八時半に登板する機会が多い事からこの異名がついたそうだ。
調べてみると、もともと心臓疾患を持病に持っており、長いイニングを投げる事が難しい、との理由からストッパーという道へ進んでいる。
全盛期はストッパーながら、シーズン20勝、現役は短かったもののコーチとしては桑田真澄、上原浩治、川上憲伸など名だたる選手を育成している。
まだまだコーチとしてはやれる年齢ながら、2006年、66歳という若さで亡くなられてしまった。
この話が何処に繋がるかというと………………、
自分にとって八時半と言えば、半夜の渡船がお迎えに来る時間。
正確には少し間をおいて来るので、若干のロスタイムがある。
今日も飽きたらず、仕事が早く終わったので行ってしまった、東京湾…………。
強風の中、八時半まで異常無し。
バッカンその他、荷物をまとめ終えてからのロスタイム、ギリギリまで撃っていると………
「ツツッ」というアタリ!
来た!この時間になって回って来やがった!
と思ったら痛恨のポチャリ。
後ろを振り返り、船はまだだな?と確認してキャスト………やはり小さなアタリがあるが掛からない!
焦ってキャスト、フォール時間が待ち遠しい、アタっても掛からない?
を繰り返して…………
なんとか一匹。小さいけど。
帰宅し、嫁と娘っ子が既に夢の中にいる時間に、
独りで鯵の握りを喰らう贅沢。
うーん?
やっぱり刺身は釣って直ぐだとイマイチ。
自分にとっての心のストッパーとは…………第一次原政権時代の河原か、藤田監督時代の角かな。