その悔しさは筋がとおっていない         高校サッカー編 | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 毎年、日本テレビで放送される全国高校サッカー選手権。その中で以前、敗退したチームのロッカールームの模様などが放送されたことがあった。

 

 
 そこには負けた悔しさに号泣する選手の少年たちと監督がおり、監督が選手の少年たちにこのようなことをいっていた。

 

 
 「たしかに悔しいけど、相手には『おめでとう』といってあげられるような大きな人間になってほしい」

 

 
 監督のこの言葉、一見すばらしい言葉のように聞こえるかもしれないが、根本から完全にまちがいが生じてしまっている。

 

 
 『たしかに悔しいけど……』といっているが、悔しさを抱いて筋がとおるのは━━

 

 
 ①アンフェアなルールによる試合だった。

 
 ②アンフェアなジャッジによる試合だった。

 
 ③相手チームが卑怯な手を使って勝利した。

 
 ④だんとつの優勝候補だったにもかかわらず、無名のチームにまさかの敗北をきっした。

 
 ⑤後半の30分くらいまで5点くらいの差をつけていたにもかかわらず、そこからまさかのミラクル大逆転負けをきっしてしまった。

 

 
 ━━以上、この5つのうちのいずれかに当てはまる場合のみである。

 

 
 ①~③は国際試合なら可能性はあるが、国内の高校サッカーの試合ではちょっと考えられない。④と⑤も可能性は極めて低い。よって試合に負けて悔しさを抱く行為はまったく筋がとおっておらず、選手たちも涙を流して悔しがるようなことでは全然ないのである。

 

 
 もしも現在、あなたがなんらかの勝負事に敗れてどうにもならない悔しさに襲われている状態だったなら、この新世界観を自分自身に当てはめて悔しさを心からなくしていってもらいたい。

 

 

 

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