日本のプロ野球史上、“●●打線”というニックネームをつけられて恐れられた強力打線はあまたあるが、そのままずばり“史上最強打線”というニックネームをつけられた打線があったことをご存知だろうか?
それはそんな昔の話ではない。堀内恒夫が監督をつとめた2004、2005年シーズンの巨人打線のことである。
当時の巨人打線は清原、高橋由伸、ペタジーニ、ローズなど、クリーンアップが3つあるような夢の打線だったのだ。その打線を誇る巨人の新監督を任せられたのがV9時代のエース、堀内恒夫だったのである。
史上最強打線を持つ巨人は、いったいどんな圧倒的な強さで優勝を果たすのだろうか?━━巨人ファンのみならずすべてのプロ野球ファンがそうした期待を寄せたことだろう。無論、アンチ巨人の人たちにもそうした人は多かったと思う。
が━━結果は2004年は3位、2005年は球団史上ワースト記録の80敗をきっして屈辱の5位に終わった。それも前の監督の原辰徳の頃とはちがい、故障者などはほとんど出ていなかったと記憶している。完全に堀内恒夫の監督としての能力のなさが原因だったのだ。
そんな堀内恒夫が監督時代に残した迷言にこのようなものがある。
その日の試合の巨人は前半負けていたのだが、最後の土壇場で逆転をすることに成功。
が、抑えを任されたピッチャーが打たれ、最後の最後の土壇場でサヨナラ負けをきっしてしまった。
その試合後のインタヴューで堀内恒夫はなんとこういったのだ。
「後ろのピッチャーが悪すぎる。これじゃいくら打ってもダメだ!」
後ろのピッチャーが悪すぎる━━そんなことは原監督の時代からとっくのとうにわかりきっていることだ。『巨人の最大のウィークポイントは貧弱な抑え投手陣である』と。それを改善するのが新監督であるあんたの役目だろうが。それにバッター出身の原辰徳とはちがい堀内恒夫はピッチャー出身なのだから、投手陣の指導・改善はお手のものなはずである。
それにそのいい草では━━『監督の自分は完璧な采配をした。悪いのはすべて選手たちだ』━━といっているようなものではないか。堀内恒夫はプロ野球史に残る伝説のへぼ監督である。
1頭のヒツジが率いる100頭のライオンの軍団より、1頭のライオンが率いる100頭のヒツジの軍団のほうが遥かに強い━━と、よく例え話でいわれるが、そのことを我々に見せつけてくれたのが2004、5年の堀内ジャイアンツだったといえるだろう。