2001年、イレーナは91歳になっていた。そしてアメリカの女子高生たちのワルシャワ訪問によってイレーナの業績は世界中に知れ渡るようになり、2003年、ポーランド政府は国家の最高栄誉である白鷲勲章をイレーナに贈った。2007年にはノーベル平和賞の候補にも選ばれた。
さらにイレーナに助けられたユダヤ人の子供たちがイレーナの存在を知るようになり、奇跡の再会が次々と果たされるようになっていった。
イレーナはいう。
「私はひとりじゃぜったいになにもできなかった。だからヒロインなんかじゃありません。父の言葉を受け継いだだけなんです」
そんなイレーナが気にかけていることがあった。命のリストによって終戦後、子供たちを親のもとへ帰そうしていたのだがかなわなかったことだ。ほとんどの親はイレーナに子供を託したあと、ナチス・ドイツによって処刑されたのだという。
しかし、イレーナに助けられた子供のひとりで、ホロコースト協会元会長のエルジュピエタ・フィコフスカはいう。
「イレーナさんはもっとなにかできることはないかと思い悩み、そしてできる限りのことをしたのです」
アメリカの小さな町の女子高生たちが世界中で巻き起こした奇跡。エリザベスたちのことは新聞の一面も飾った。そんな彼女たちにイレーナのことを調べることを勧めた社会科のノーマン先生はいう。
「すべてが予想外のことへ広がっていきました。私が教えた生徒の研究でこんなことは前例がありません」
メーガンはいう。
「世の中の悲しみを少しでも減らすため、イレーナさんの思いを絶やすことはできません。伝えていきたいと思います」
高校卒業後、4人はそれぞれの道を歩み出したが、メーガンは今もなお≪ビンの中の命≫プロジェクトのスタッフとして活動している。そしてその舞台は8年間で250回を超えた。
━━2007年、ワルシャワのゲットー記念碑広場にリンゴの木が2本植えられた。命のリストのビンにちなんでドイツとポーランドの子供たちが植樹したのである。平和への祈りを込めて……。
そして2008年5月、奇跡のヒロイン、イレーナ・センドラーは98歳でこの世を去った。彼女はこのような言葉を残したという。
「戦時中よりも今のほうが人間は悪くなったように思います。文明は進みましたが、大量殺戮兵器の開発は今も続いています。それでも私は愛が勝つことを信じています。愛よりも尊いものなどありませんから」
命をかけてユダヤ人の子供たちを救ったイレーナ・センドラー。アメリカ・カンザス州では現在、かつての“子供の日”であった3月10日を“イレーナ・センドラー記念日”に制定している。
もうひとりのシンドラーを探して 終わり