長い紛争の末に独立を果たしたバルカンの小国、コソボ共和国。そして日本の古都である石川県の金沢市━━一見、なんの共通点もないこのふたつの地を結んだ命の物語があったことをあなたはご存知だろうか……?
━━ときは1999年6月、当時のコソボは西欧とイスラム勢力がせめぎ合う“バルカンの火薬庫”と呼ばれた地域にあり、独立をめぐった紛争は国際的な規模に発展していた。そして1999年3月から3ヶ月に及ぶNATO軍の空爆により、コソボ第2の都市プリズレンは疲弊しきっていた。
そんな頃、とあるふたりの日本人がNGO団体AMDAから派遣されてやってきていた。近藤麻理と小児科専門の上田明彦医師である。彼らの任務はコソボの医療施設の破壊状況と、復興までの目途を調査することだった。
だが、彼らはこの地で思わぬ出来事に巻き込まれていくことになる……。
外を歩いていたときのことだった。突然、激しく動転した様子のコソボ人と思われる中年男性が話しかけてきたのだ。
「お願いです。私の息子を助けてください!私の息子が病気なんです!このままでは死んでしまう!」
彼の名はアブドゥラマン・シニックといい、ネジールくんという3歳の息子がいるらしい。しかし、ネジールくんの幼い体は重い病におかされていた。
その病とは“網膜芽細胞腫”といい、1万5000人にひとりの確率で網膜に発生する悪性の腫瘍で、進行すれば眼球外に波及して肺などに移転してしまう。治療しなければ死に至る恐ろしい病気であった。
しかもネジールくんは両目に腫瘍が生じていた。特に重症だった右目は首都ベオグラードで眼球摘出手術を受けて義眼になっていた。その後入院し、左目の抗ガン剤治療を受けることになっていたのだが、空爆の激化によって検問所の通過を3度も拒否されてしまっていた。
━━シニック家。椅子に座るネジールくんの目を上田医師は診察した。そんな上田医師に近藤麻理が声をかける。
「……上田さん?」
やがて上田医師は張りつめた声でいった。
「……1日も早く治療しないと……」
そんなふたりの日本人たちに、父のアブドゥラマンが半ば取り乱していう。
「いろんな国のNGOをまわってもすべて断られたんです。あなたたちが最後の望みなんです。見捨てないでください!」
しかし上田医師の口からはため息しか出ない。
「ここでは無理だ……」
このままでは両目が見えなくなるばかりでなく命の危険があった。しかし、そんな状況をネジールくんが理解できるはずがない。ネジールくんは上田医師たちを見つめてニコリとあどけない笑顔を見せた。
そんな彼の様子を見て近藤麻理が決意したようにいう。
「私、受け入れ先を探してみます!」
どこからも救いの手が差し伸べられず、死を待つしかなかったネジールくん。彼の命を近藤麻理は救うことを誓った。