私が小学生の頃のことである。授業中、新聞の話題があがり、『新聞は難しいから、読んでいるような人はいないでしょう?』といったことを先生が生徒たちに訊いたのだ。
もちろんほとんどの生徒が読んでいないらしく、新聞の話題はそれ以上の広がりを見せようとしなかった。
が、ひとりの少年の返答で意外な展開を見せた。
『俺、新聞、読んでるよ』━━クラスメートの少年がふとそう口にしたのである。それを合図にしたかのように『俺も読んでる』といい出す少年が数人あらわれ、『それなら……』という感じで私も新聞を読んでいると返答した。
最終的に新聞を読んでいると返答した生徒は私を含んで5人ほどあらわれ、難しい新聞を読んでいる知的で博学な人間として羨望のまなざしを受けることとなった。
が、事態は思わぬ方向に転ぶ。
ひとりの男子生徒が先生や全クラスメートに向かってこういったのだ。
「それなら今度、みんなの前で新聞を読んでもらおうよ。本当に新聞を読んでいるなら読めるはずだ」
この提案に先生もかすかにいじわるな笑いを浮かべながら『そうね。そうしましょう』と肯定して数日後、私を含む5人ほどの男子生徒たちは先生とクラスメートの前で新聞の文章を朗読することになってしまった。
そしてむかえた当日、用意された新聞を私たちは渡されたのだが、誰ひとりとして読むことができずに大恥をかいて席に戻ることになってしまった。そんな私たちの姿を見ながら先生は『口からでまかせをいうとこういう目に合うんです。ひとつ人生の教訓になったかな?』といったことでも思っていたにちがいない。
しかし、私はこのときのことを思い出すたびに、激しい悔しさが全身に込み上げてくる。
たしかにまだ小学生だったので難しい漢字などはよくわからなかったが、新聞の世界情勢のページなどに毎日ひととおり目を通していたことを事実だ。テレビ欄くらいしか見ないほかの子供と比較すれば、それだけでも充分“新聞を読んでいた”といえるのではないだろうか?私以外の『新聞を読んでいる』と発言した男子たちも、だいたいそんな感じだったのだと思われる。
もしもその場合、私は先生に土下座して謝罪してもらいたい。事の真相を深くたしかめもせず、生徒たちをクラス中の笑い物にした罪はあまりに大きい……。
そこで世界中の教育者たちにいいたい。生徒の少しひっかかる発言が嘘なのか?本当なのか?時間をかけて詳しく調べてもらいたい。それで嘘であることがはっきりわかったとき、それではじめて糾弾をおこなようにしてほしい。