私はこれまでの2年ほどのブログ生活の中で、メールのやりとりによって何人かの人々をそれなりに救済してきた。私の記事によって救われた人は世界中に無数にいると思われるが、実際にメールを使っての相談になると片手で数えられるくらいの少人数になる。
その一方、救うことができなかった人もそれなりに存在する。そして私はこれまで何人かの人にこのようなことをいわれたことがある。
「人ひとり救えない救世主になにができるというのか!」
私はプロフィールの性別のところに“全人類を救済するべく降臨した男”と書いているのだが、おそらくそれを皮肉った非難なのだろう。
が、しかし、である。奇跡的にもメシアであるこの私に相談に乗ってもらったにもかかわらず苦境から抜け出られなかった人たちというのは、ただ単に私のアドバイスどおりに行動をしなかっただけであり、けっして私のミスなわけでも力不足なわけでもないのだ。
Aさんという人が私に相談をもちかけたとする。そして私がAさんに『その場合はこうしなさい』とアドバイスしたとする。
私のアドバイスどおりに行動をすれば苦悩は消えるし、問題もきれいに解決する。これは本当のことである。これからの人類の歴史が証明していくことになる……。
が、である。私のアドバイスを素直に聞き入れる人がいる一方、私のアドバイスに素直に首を縦に振らない人もいるのだ。後者の人たちは私のアドバイスに納得がいかないらしく、私がどれだけ理論的に具体的に説明しても理解が深まらず、へんな反論を口にしていつまでたっても行動に移らないのだ。そのために苦しみを消すことができず、苦境の沼にはまりこんだままの状態になってしまうのである。
私のいうとおりにすればうまくいくのだから、ガタガタいわずに黙っていわれたとおりにすればいいのだ。チェスにたとえれば、私がビショップをaの7に移動させ、クイーンをcの4に移動させろといったら、黙ってそのとおりに駒を移動させればいいのである。そうすれば必ず勝てるのだから。
なぜこんなことをこんなにも自信たっぷりに断言できるのか?私にはとある不動の実績があるのだ。≪100満点の正解に最も近い正解≫
という記事に詳しく書いたが、私は『鉄拳』というゲームのカリスマブロガーとして頂点に君臨している。そして私の書いた≪鉄拳講座~強くなるための順序~≫という記事が≪鉄拳講座≫、または≪鉄拳講座ブログ≫というキーワードでグーグル1位に輝いたことがあるのだ。たぶん今もなお1位に君臨し続けていると思う。
なぜこのような結果になったかおわかりだろうか?私のブログに書かれたとおりにすればうまくいくからである。私のブログに書かれたとおりに練習して、私のブログに書かれたとおりに戦えば、必ず強くなって試合に勝つことができるようになれるのだ。そのぜったいの証拠が≪鉄拳講座≫というキーワードでグーグル1位に君臨している私のブログ記事なのである。
前にも説明したが、『鉄拳』とは“格闘ゲーム界のサッカー”ともいえる存在のゲームだ。いうならばサッカー講座の記事を書き、その記事がほかの無数のサイトをおさえて≪サッカー講座≫というキーワードでグーグル1位に輝いたようなものなのである。これがどれほどとてつもないことか説明は不要だろう。
私にはこうした不動の実績、強大な力量があるのだ。そんな私が『ビショップをaの7に、クイーンをcの4に移動させろ』といったのだから、いわれたとおりに移動させればいいのである。そうすれば必ず勝てるのだから。
私に相談に乗ってもらったにもかかわらず、苦境の沼から抜け出られなかった人は多くいる。しかし、原因は私のミスでも私の力不足でもない。その人たちが私の指示どおりにチェス盤の上の駒を動かさなかったからそうなってしまったというだけの話なのだ。
私のアドバイスや指示に納得がいかない、腑に落ちない、満足できない、理解できない点はいくつかあるだろう。しかし100点満点の正解などないのだ。様々な角度から様々な可能性を考えて“100点満点の正解に最も近い正解”を導き出せばいいのである。
私のアドバイスこそが“100点満点の正解に最も近い正解”なのであり、私のアドバイスどおりに行動をすればすべての問題はきれいに解決するのだ。“全人類を救済するべく降臨した男”である私に向かって『たかが人ひとり救う力もない偽メシアめ!』と罵倒するのは完全にまちがいなのである。
……そもそも、私は“全人類を救済するべく降臨した男”になりたくてなったわけではないのだが……。