理想を求めるエゴイズムについて | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 別に自慢をするわけではないが、アメブロをはじめてからこの記事を書くまでの半年ほどの間に、私は4人の女性ブロガーから強烈な恋心を抱かれてしまった。

 


 そのうちのひとり。その女性は私の元読者で、メールの中に『メシアさん、カノジョいる?いますよね?』だの『近かったら料理作りに行ってあげてもいいんだけどね』だのといった言葉を散りばめる人だった。そして私は彼女の相談に乗ってあげたのだが、私のアドバイスや助言の内容が期待外れな上にふざけたものと感じられたらしく、『あなたなんかみんなの前からいなくなればいいのに!』というメールを最後に私の読者をやめ、アメブロからも退会して姿を消してしまった。しかし私はいったいなんのことやら、しばらく呆然とした日々を過ごし続けてしまった。

 


 ほかの女性。その女性と私は好きなアーティストがまったく同じで、しばらくそのアーティストの話題を中心にメールを続けた。そんなある日、彼女のブログをのぞいてみると私とのメールのやりとりのことと思われることが書かれており、ラブラブ!←といった絵文字やラブラブ←といった絵文字がたくさん使われていた。私のブログに感動したという理由にくわえ、趣味が同じという理由もあいまって私に好意を抱いてしまったらしいのである。

 


 しかし“パントさん事件”の最中、私にいちゃもんをつけてくる子供たちを相手にコメント欄の中でアホ論争をくり返していたある日、その女性からお別れを告げるメールが送られてきたのだ。



 「短い間でしたけどメールのやりとり楽しかったです。そしてさようなら。いつまでもおろかな論争を続けてください」



 このメールを最後に私の読者だけなくアメブロまでもをやめてしまったのである。

 


 私はただちょっとしたジョークで子供たちと遊んでいただけだというのに、なぜそんなちっぽけな理由で恋心が一気に冷め、さらには絶交までもをしてしまうのだろうか……?

 


 もうひとり。仮にKさんとしておこう。Kさんは厳密にはあくまでただの友人であり、ほかの女性たちのように私に対して熱い想いを抱いていたというわけではなかった。しかし『助け合って生きていきましょう』といった慈愛に満ちたメールをくれる人で、いざ私が窮地に陥ったとき、必ずや私に力を貸してくれるのだろうと強く確信をしていた。

 


 そんなある日である。私が窮地に陥ってしまったのだ。そしてKさんに助けを求めたのだ。が、である。Kさんは私に力を貸してくれないどころか、私に不信感を持ってしまったらしく、『返事はしないでください。今までお世話になりました』という言葉を残して私との仲を断ってしまったのだ。

 


 おいおいKさん、いざというときは助けてくれるんじゃなかったのか?━━信頼を寄せていた人に裏切られた私の失望感は極めて深いもので、私のほうこそ人間に対して不信感を持ってしまったほどである。

 


 ひとり目の女性にしてもふたり目の女性にしてもKさんにしても、私との関係を終了させた理由は客観的に考えると非常に些細なものばかりである。私は彼女たちと付き合っていたわけではないが、私が浮気でもしたのか?私がドメスティック・バイオレンスでも振るったのか?“特になにもしていない”が正解だろう。私は普通という名のレールから大きくはずれることなく平凡な日々をおくり続けていただけだ。誰にも不快も迷惑もなにも与えることのない平凡な日々を。しかし、私に別れを告げた女性たちは極めて不愉快な思いを味わわされたらしく、それに耐えきれずに恋心が冷めて私の前から姿を消していったのだ。

 


 私は特になにも変わったことはしていない。欠点も弱点もある弱くて不完全なひとりの人間として日々をおくっていただけだ。しかし別れを告げた女性たちは私が完璧でなければ得心せず、少しでも完璧な理想像から外れる発言・行動をとったがために別れを告げたのである。この記事を読んでいる男性読者たちの中にも、同じような経験をしたことがある人がいるのではないだろうか?また、過去を冷静に振り返って、自分にも当てはまると感じた女性も多くいるのではないだろうか?

 


 特になにも変わったことをしていないはずの私に幻滅し、私に別れを告げて姿を消していった女性たちは私に完璧を求めていたのだ。だからこそ少しでも完璧な理想像から外れた発言・行動をとった私を許せなくなり、失望、憤りの感情を抱きつつ別れを告げたのである。私は彼女たちのこうした感情を“理想を求めるエゴイズム”と名付けたい。



 完璧な人間などいない。誰しもに欠点、弱点、短所、弱い面、暗い面、醜い面があるものだ。それをどれだけ自覚できるか、どれだけ克服できるかが問題なのである。それだというのに私に別れを告げた女性たちのエゴイズムはなんなのだろうか?

 


 逆に私は彼女たちに訊きたい。『それではあなたたちの発言や行動は24時間365日、常に完璧なんですか?』と。答えはNOなはずである。私の些細な発言や行動に幻滅して怒りに襲われたらしい女性たちの日常を追えば、欠点も醜い面もいくらでも見つけ出すことができるだろう。そんな自分を棚に上げて私だけを一方的に非難して姿を消していった女性たちのエゴイズムに怒りと哀れみが湧いてくる。

 


 “理想を求めるエゴイズム”は誰の胸にも少なからずあるだろう。だからこそ欠点だらけの生き物、人間なのだから。その“理想を求めるエゴイズム”を自覚して克服していけばいいだけの話なのである。

 


 たとえば世紀の天才ヒットメーカーから5億円詐欺犯人に転落したあの小室哲哉。私はTM時代からの大ファンで、ほぼすべてのCDを聴き、ほぼすべてのビデオも観た。小室哲哉が5億円詐欺を犯そうとなにをしようと残した作品のすばらしさは変わることはなく、これからも私は小室哲哉の作品をずっと聴き続け、観続けていくことだろう。特にTMの『カモン・レッツ・ダンス』という曲は私の人生の曲のひとつだ。

 


 しかし中には、5億円詐欺事件をきっかけに小室哲哉に限りなく幻滅し、作品を聴かなくなってしまった人は多くいると思われる。特に小室哲哉は外見もキャラクターも紳士的聖人的であり、その分ファンにもたらした5億円詐欺によるショックはすさまじいものなのだろう。しかし完璧な人間はいない。そして私は“理想を求めるエゴイズム”という醜い感情が心の中に存在していることを熟知している。よって小室哲哉に対しても不信感や幻滅の感情はさほど湧かない。『刑務所から出てきたらまたがんばってね』で終わりである。それどころか、小室哲哉ほどの超大物なのだから、だまし取る金も桁違いの額でなければ様にならないだろう。私の中での小室哲哉の5億円詐欺事件とは、簡単にいえばその程度の重みしかないものなのだ。

 


 好きな人に対して完璧を求めてはならない。完璧な人間はいない、理想的な人間はいないのだから。これから“理想を求めるエゴイズム”を自覚して削除していき、些細なことに不愉快になって憤怒に駆られることのない“大人”への階段をのぼっていってくれ。

 

 

 

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