神よ…… | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 日本屈指の人気ブログサービス、アメーバブログ。それをはじめてこの記事を書くまで約半年ほどが経過している。


 その間に実に、実に様々な出来事が起こった。多くの人々との出会い、別れ、誤解、苦悩、葛藤、喜怒哀楽の嵐、嵐、嵐……私はブログをはじめる前まではブログというものを軽く考えていたのだが、まさかブログというものがこんなにも人間という生き物を無数の感情の渦に巻き込むものだなどとは夢にも思っていなかった。


 そんな私のアメブロ生活の分岐点になったのが“パントさん事件”である。このブログをはじめて訪れた方は『いったいなんのことだ?』と首を傾げると思われるが、私の当初からのファンの人たちは死ぬほど目にしてきた文字であろう。


 そして“パントさん事件”もようやく終焉に向かいつつあり、さらに迷惑コメントのほうも驚くほど減少し、私の精神もうんと軽く楽なものになろうとしていた。


 が、神は私にほんの一瞬しか安寧を与えてくれないのであった……。


 “パントさん事件”はまだまだ終わってはいないが、パントさんの私への当てつけブログの更新スピードがかなり遅くなっているところを見るとパントさんの苦しさが伝わってくる。よって“パントさん事件”の終焉は近いと見ていいだろう。


 そして終焉をむかえたそのとき最後の“パントさん事件”総括を書くつもりでいるのだが、ここにきて“パントさん事件”に匹敵するほどの大事件に巻き込まれることとなってしまった。


 まずはひとつ目。知人の女性ブロガーがとてつもなく悲惨な目にあってしまい、自殺願望との死闘が幕を開けてしまったことである。


 その女性は毎日欠かさずに私にメールをくれる人で、暇さえあれば私と1日中メールをやり続けたいみたいなのだ。そんな彼女がある日を境に、ぴたりとメールを寄こさなくなってしまったのである。


 こうした事態はかつて1度だけあった。詳細は私の記事のひとつ《ひとりの少女との突然の出会い、突然の別れ》を読んでたしかめてもらいたい。


 数日ぶりにメールがきたので事情を聞くと、人生最大の難局の壁が目の前に出現してしまったらしいのだ。


 詳しいことは書けないが、私なりに彼女にせいいっぱいのアドバイスを送り続けた。しかし、以前は毎日こまめにメールをくれたというのに、数日の間隔を置いて途切れ途切れにたまにしかメールをしてくれず、まさしく絶望のどん底にいるらしいことが明確に伝わってくる。


 こまめにメールをしてくれさえすれば私の力ならばなんとか救い出すことは可能なのだが、どうやらメールすらまともにできないほど精神的にも肉体的にも衰弱しきっているみたいなのだ。


 彼女のことがずっと頭から離れない憂鬱な日々を送り続けている……。


 ふたつ目の人生の壁。


 私は現在、とある男性、仮にJさんとしておこう。Jさんと出口の見えない論争をくり返している。


 出口は30センチ先くらいにあり、私のいうとおりに事を進めればすべて解決に終わるのだが、Jさんというのがこれまた話をこんがらがせる天才、話をややこしくする天才、話をとどこおらせる天才で、何度話をくり返しても1歩たりとも話が前進することがないのである。


 私がどれだけ『これはこうこうこうで、こうこうこうですから、あれはこうこうこうしてください。そうすればうまくいきます。では、よろしくお願いします』とメールを送っても、きまって『でも、あれはああですよね?』だの『つまり、これこれはこういうことと解釈していいんですね?』だの『前にも聞きましたが』だのといった返事しかしてくれず、理路整然と話をまとめたメールを何度送っても、何度送っても、何度送っても話を1歩も前へと進ませることができないのだ。


 話をこんがらがせる天才Jさん━━神から授かった才能、生まれ持った才能としかいいようがない。もしも話をややこしくすることを競う世界大会があったなら、Jさんならば必ずや日本代表のエース格としてベスト8くらいには食い込めるにちがいない。


 Jさん━━ある人は彼の返信メールの内容を“芝居”だという。私の話をわかっていながらわからないふりをし続けているのだと。しかし実際Jさんと数えきれないほどメールをやった私には芝居には感じられない。マコトのことだと確信している。


 私は人の心理の奥の奥を読むことができ、さらに微妙な文体に隠された無数のニュアンス、無数の感情、無数の意味合いなども鋭く見出すことができる特殊な能力の持ち主である。その私が『芝居ではなくマコトのことだ』と判断したのだから、マコトのことである可能性が高いものなのだと信じたい。


 Jさんが私の話をさっと理解して、私の指示通りに行動をとってくれさえすれば、たったのそれだけでとあるふたりの人間が絶望から救済されることになる。Jさんが誰にでもわかるはずの私の意見を聞き入れ、肯定し、実行に移してくれるだけでである。


 しかし話をややこしくする天才のJさんが相手では、それは雲をつかむような夢物語に思えてならない……私は限りなく深いため息を何度も何度もつき続ける日々をおくっている。


 いっそのことJさんと関わることをやめようか、それとももう少しがんばってみようか懊悩しているのだが、そろそろ英断を下すときが近づいていることを認めざるをえない今日この頃なのであった。


 ……神よ、私をこの混沌たる3次元世界に送り込んだ神よ、あとどれだけ私に難問を与える気なのだ?私のアメブロ生活はおそらく今年いっぱいで終わると思われるが、それまでの間にあといくつの高い壁を用意しているというのだ?


 『私が選んで3次元世界に送り込んだメシアよ、さあ、次の難局はどう打開する?クククククク……』といった神の皮肉めいた声が聞こえてきそうである……。


 この記事を書いているのは西暦2009年4月2日のことだ。1週間後の4月9日、私の生活がどのような変化を遂げているのか、恐怖心と期待感を込めて楽しみにしている。

 

 

 

第1次アメブロ聖戦目次へ

メシアのモノローグへ