私の読者の中になんでも屋パントさんという方がいる。
この記事のひとつ前の記事ではイニシャルで“Pさん”としたのだが、パントさんが自分の記事の中で私のことをはっきりと“メシア”と書いているので、私もはっきりと“パントさん”と書かせてもらうことにする。
そんなパントさんは私と知人ブロガーのメールのやりとりを公開して嘲笑ったり、自分と私とのメールのやりとりの内容を公開して嘲笑ったりしていた。
しばらくパントさんのそれらの記事はアメンバー限定だったのだが、ある日《近日公開予定》的な文が書かれており、『さて、私のブログについていったいどんなことが書かれているのかな?』とかすかな関心を寄せ続けていた。
そんなある日、とあるブロガーの人からこのようなメッセージが届けられたのだ。
「パントさんとメシアさん、あふた方のブログを拝見しました。たいへんだと思いますが更新がんばってください」
このメッセージによってついにパントさんが私のブログについての記事を公開したらしいことを悟り、さっそくパントさんのブログを訪れてみた。
……残念……それが正直な感想である。
実は私のブログを批判するブログを書いている人はほかにもいる。その人は私の記事のひとつ《自己顕示欲と虚栄心の塊人間たちについて》を採り上げており、その記事の中の随所に知的な毒のつっこみを入れていた。
そして私はパントさんもその人のような感じのブログを書いているのだろうと期待をふくらませたのだ。
『いったい私のどの記事のどこからミスや欠点を見出して論破しているのだろうか?』━━私の知的好奇心と期待感は激しさを増すばかりだった。
そしてもしも本当に論破をされていたなら、こちらも反撃の論破をおこなうつもりでいた。
が、である。パントさんの私についてのブログは知的な鋭いつっこみを入れるというタイプのものではなく、くり返すように、ただ知人とのメールのやりとりの一部始終を公開して嘲笑うというだけのものだったのだ。
『メールのやりとりを公開して嘲笑うだけの記事だと?つっこみを随所に入れているではないか!』といったパントさんの声が聞こえてきそうだが、私のブログの読者のみなさん、それから今日たまたまこのブログを訪れた方々、読者一覧からでもいいからパントさんのブログを読んでみてくれ。私の見解が正しいことが一瞬でわかるはずだから。
が、とはというものの、たしかに嘲笑一辺倒というわけでもなく、いくつかつっこみらしきものを入れているところもある。たとえばこのようなものだ。
(私私の返信メール
どんな音楽を聴けばいいのか?私に訊かれても困ります。私も最近の10代、20代の人たちが関心を持っている音楽にはそれほど詳しくないですから。
(パントさん)
はぁ?
それほど詳しくない?
なのに音楽を薦める記事を書くかぁ?
しかも!
立て続けに!
……私の公開しているアルバムCDの記事を見ればわかることなのだが、浜崎あゆみや宇多田ヒカルなど、私は10代から40代くらいまで幅広い層で聴かれているアーティストばかりを採り上げているのだ。よって私の『10代くらいの子供たちが現在最も関心を示しているアーティストにはさほど詳しくありません』という意見は筋が通っているはずである。
また、このようなものもある。
(私の返信メール)
コメント欄で読者同士の会話は一般的に当然なのですか?それは知りませんでした。
なぜ知らなかったのか?理由を説明します。私はインターネットもブログも1年生だからです。
(パントさん)
はぁ?
この人 絶対 頭おかしいわ!
だって、皆さんもお気づきのようにインターネットやブログをはじめたばかりなのにコメントの認証制やプチメを堂々と行い、
しかも、ブログで知り合った女性ブロガーさんたちに偉そうにアドバイスしているんですよ?
絶対に僕をバカにしてますよね?
……私は“ブログ1年生”といったのであり、“ブログをはじめて5分しかたっていない”などとはいっていない。
“ブログ1年生”なのだから、その1年間の間にコメントの承認制くらいは覚えられるだろう。
またプチメについてだが……トップ画面のメッセージのところをクリックする、メッセージの件名と内容を書き込む、送信する……たったのこれだけのことなのだから、“ブログ1年生”でも充分におこなうことが可能だろう。
また、『ブログをはじめたばかりなのに知り合った女性ブロガーたちに偉そうにアドバイスしているんですよ?』というものなのだが、人の相談に乗るのに“ブログ歴”などまったく関係はないだろう。たとえブログにおいては初心者だったとしても、人の相談に乗れるだけの知識や器があれば充分に相談に乗れると思うのだが。
補足をひとつ。私はブログのどこにも『私は人生相談をやっています』なんてことは書いていない。すべて向こうから相談を持ちかけてきただけなのである。
ほかにも論証、もしくは論破らしきものはいくつか散りばめているのだが、どれも今紹介したような塵のようなものばかりであり、わざわざすべてを論破する必要はないと判断してふたつだけにとどめておいた。
それにしても、パントさんのブログはこのうえなく幼稚で次元が低い。文も内容も。パントさんは年齢が40に届こうとしている人らしいのだが、もしも年齢を知らされずにパントさんのブログを読まされたら、だいたいの人が『このブログを書いているのは高校生くらいの子供かな?』といった印象を受けるはずである。それほどに開いた口がふさがらない、もはや哀れみさえも湧いてくるようなブログだ。
パントさんが私に対抗するブログを公開したらしいことを悟ったときは、いったいどんなものすごいブログを書いたのだろうか?と知的好奇心を激しく燃やしたものだった。
そして私はかつて戦ったブロガーたちのように、私の記事の中のミス、欠点、矛盾点、不合理な点などをシニカルに論難するようなタイプのブログなのだとばかり思っていたのだ。しかし蓋を開けてみれば……。
そういえば以前、私の記事のひとつ《『テトリス』について》に『1万種類の状況?多くてせいぜい700数十種類しか状況はありませんけど?』という挑戦状的な論駁のコメントを送ってきた人がいた。
私のブログを毎日こまめにチェックしている人たちは、私とその人の論争合戦の記事がしばらく公開され続けていたことを覚えていると思う。
はっきりいって、その人もこの私と対等に渡り合えるレベルのブロガーではなかった。しかし、その人とパントさんとでは大人と子供ほどの開きがあるといっていい。
私はこれまで多くのブロガーと戦ってきたが、パントさんはその中でも1、2を競う弱さを誇っている。よくぞその程度のレベルで難攻不落のこの私に挑んできたものだと、その勇気にあきれを通り越して賛辞を送りたいほどだ。
そんな私に応援や励ましのメッセージが2通ほど送られてきたのだが、私もかなり見くびられたものである。
この私がパントさんレベルのブログに暗鬱となるとでも思っているのだろうか?私から見ればパントさんなど、地面のアリのようなものだというのに……。
パントさん━━これからも私を嘲笑する内容の記事を公開していくと思われるが、なるべくもう少しだけ腕を磨いてからにしてくれないか?前述したように私の記事のひとつ《自己顕示欲と虚栄心の塊人間たちについて》に知的なつっこみを入れているブロガーがいる。パントさんもその記事にコメントを残している。ぜひその記事を参考にして修業を積み、初心に帰って再び私に挑んできなさい。
……余談だが、ブログでは人のメールのやりとりをのぞいたりすることができるらしい。
全国のアメブロガーのみなさん、ひょっとするとあなたも知人とのメールのやりとりをパントさんにのぞかれているかもしれませんよ……。