苦悩について | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 以前にも書いたことなのだが、人間とは知能が高ければ高いほど悩み事が多い生き物である。

 


 たとえば私が小学生の頃、クラスに顔がすごくブスで、頭もすごく悪くて、さらには授業中に汚穢までもをもらすような少女がいたのだ。無論、その少女はクラス中の罵詈雑言の的になることとなった。そしてひどい罵詈雑言を連日にわたって受け続けていたら、学校のほうは徐々に休みがちになっていくと思うのだが、私の記憶している限りその少女はたったの1日も休むことなく学校に通い続けていた。 

 


 その少女が屈強な精神力を持っていたわけではない。その少女には苦悩というものができるだけの知能がなかったのである。そのためにみんなからどれだけ連日にわたって罵詈雑言を浴びせられても、頭にも胸にも苦しみが発生しなかったというわけなのだ。

 


 それに比べ、世の中には絶望、苦悩、不幸の漆黒の闇を抱えている人間が無数にいる。まさに、無数にいる。私もそのひとりではあるのだが、彼らは知能が高いゆえになんらかの苦悩の闇を常に抱え続けており、出口の見つからない迷宮をくる日もくる日も彷徨い続けているのである。しかしくり返すように、それは知能が高いがためだからだ。

 


 たとえば人から『バカ』とあざけられたとする。すると怒りを抱いたりする人や、苦しみを抱いたりする人や、屈辱感を抱いたりする人があらわれることだろう。

 


 もしもあなたが『バカ』とあざけられて怒りや苦しみや屈辱感を抱くことができるタイプに入っていたら、その瞬間にあなたがバカでないことが証明される。なぜなら『バカ』とあざけられて怒りや苦しみや屈辱感を抱くことができるだけの高い知能があるからだ。

 


 この広い世の中にはどんな罵倒やいやがらせを受けても、怒りも苦しみも屈辱感もなにも抱くことができないほどに知能が低い人間がいる。そうした人間と比べれば、苦悩に頭が席巻されている人間というのは頭がよく生まれた幸福なタイプといえるかもしれない。

 


 偶然に偶然が重なって、ひょんなことで、たまたま無数にあるアメーバブログのうちのひとつにすぎないこの記事を読んでいる人の中にも、むごい絶望や苦悩を抱えている人が多くいることだろう。それどころか、自殺を本気で考えている人もいるかもしれない。しかし、そうした自分の暗黒の精神状態を、あなたたちは誇りに思っていいのだ。苦悩とは頭がよくなければ抱くことができない非常に高度なものであり、苦悩が深ければ深いほどあなたの知能の高さが次々と証明されていく形になるのである。

 


 脳に過去のいやな記憶が蘇り、心の中に苦しみや自殺願望か湧いたとする。しかし憂鬱になる必要はない。『頭がよく生まれると苦悩が多くてまいるぜ。フフッ』と一笑にふしてしまえばいいのだ。



 ところで、私との論争に敗れたchumbaさんなのだが、おそらく今もなお敗北感や屈辱感を多少なりとも引きずりながら日々をおくっていることと思われる。しかし私の正体を知れば、『なんだよ。それじゃかなわないはずだ』と得心し、論争に敗れたことによる屈辱感をきれいに消し去ることができるはずだ。

 


 では、私の正体とは……詳しいことは私のこのブログが総合ランキング1位になったときに明かします。

 

 

※chumbaさん関連記事は削除しました。

 

 

 

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