前回:ディズニーから学ぶⅠ‐(11)‐②

「カヌーの原風景」



20代の青年期は、信じるものを探しているようなところはありませんか。

そして一度信じてしまうと・・・。





前回ご紹介したとおり、肉体的に過酷なキャスティングであるカヌー

キャストです。このため、過去のリーダーは、どうしても「目指すべき姿」を

明確にする必要があったと思います。

この「目指すべき姿」こそ、私とベテランキャストを対立させたものと

言えるでしょう。





カヌーの第一の試練は、トレーニングから始まりました。

前回お話ししたとおり、「船首」と「船尾」のトレーニングです。

それ以外のオペレーション(運営方法)は、あまり難しくはなく、

トレーニングも2日間で終了します。

教えてくれたトレーナーは、入社5年の準社員でカヌーでは古株でした。

仮にAさんとしておきましょう。

Aさんは、日常的に笑顔がなく、口数も大変少ない、筋肉質の男性でした。

目は細く鋭く、褐色に日焼けした無表情から出る声も太く、

初対面の相手をビビらせるには十分な迫力がありました。

後から聞いた話ですが、私の異動が決まると他のベテラン・カヌーキャストと

こんなことを話していたそうです。



「カヌーをなめられるなよ」

「厳しさを教えてやろうぜ」

「ジャンクル(ジャングルクルーズ)とは違うところを見せようぜ」

私の日頃の行いが悪いのでしょう。





私自身、「カヌーを漕ぐ」というと楽しい遊びという気持を

持っていましたが、全長10メートル以上あるカヌーの推進力を

つけるためには、相当な水の圧力を覚悟しなければなりません。

まずは、オープニング作業を覚えるということでパークオープンの

1時間前に出社しました。

Aさんと会い一通りあいさつすると、

「それでは、福島さん、早速パドルで漕いでみしょう!」

最初は、自己紹介から始まると思っていたため

意表を突かれました。

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【次回  最大の試練、カヌー探検‐②

ディズニー教育のキャリアを活かす!

~教育のプロフェショナルを目指す~













前回:ディズニーから学ぶⅠ‐(3)

「東京ディズニーランドの驚きの導入研修」‐後編



第4回目になります。サブタイトルの「配属!」ですが、正確には「配役決定!」でしょうか。



ディズニーの導入研修を受けて、大変な驚きを受けたわけですが、当時の東京ディズニーランドへのマスコミの風評は次のようなものでした。




アサヒグラフ(現在廃刊)

  「今春オープンの東京ディズニーランドの内容が少しずつ公開されて

   いる。ただし、東京から近隣にあるこの場所は住宅地としても大変

   付加価値があり、2年から3年で遊園地は閉園され、宅地として

   売り出すのではとの憶測を呼んでいる。」




このようなかなりさびしい内容の記事が多かったようです。

1983年オープン前、次々とキャストメンバーが入社していましたが、その事実は知っていても、3月に始まるプレビュー(ご招待オープン)に向かい一丸となってオペレーションを覚えようと必死だったような気がします。



さて、導入研修を受けて、すぐに配属が言いわたされました。

“運営本部運営課アドベンチャーランド”特に感動もなくたんたんと進んでいきました。

★これからいろいろな名前が出てきますが、仮名といたします。ご迷惑をかけないためです。ご了承ください。

運営本部運営事務課の山田さんという、やさしそうな笑顔を絶やさない30代前半の男性が迎えに来ました。3月17日に入社したわけで、その人たちが同期なのですが、覚えていないのはそこで別れてしまったからでしょう。

バスで工事現場の事務所からワードローブ(衣装塔)という2階建の巨大な長方形のプレハブに連れていかれました。バスの中から見えたのは、植木にすべてカバーが掛けられ、全体的に埃っぽい場所が続いているという印象です。施設入口の手前にキャスト専用の食堂があり、みんなは「AM(エーエム)」と呼んでいました。200名程度収容の広さがあり、そこにまだ若い20代前半の男女合わせて70名程度の人が雑談をしています。私たちが入っていくと雑談がピタッと止まり、一斉に「こんにちは!!!」と唱和(?)してくれました。ここに連れてこられた同期は5名前後いたのですが、70名の前に立たされ、発表が始まりました。

スーツ姿でニヒルな感じのマネージャーの鈴木さんがたんたんと「それでは、担当アトラクションの発表を始めます。佐藤さん、カリブの海賊!」。順番に配属が発表されていきます。

福島さん!ジャングルクルーズ!

この時、一部男性陣から「おっー!」「「よろしく!」と声がかかり、ニアニアしています。

再び、私の心の中に不安が広がっていきました。(ジャングルクルーズってなんだ!)





この時から3か月に1回は辞めたいと思う日々が約2年間続いたのです。

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【次回 ~ジャングルクルーズのトレーニング始まる



ディズニー教育のキャリアを活かす!

インストラクターの育成















前回:ディズニーから学ぶⅠ‐(1)

「東京ディズニーランドとのファーストコンタクト」



2回目になります。読んでいただいている方、本当にありがとうございます。

前回では、ディズニーの社員募集に応募して、書類審査まで通ったことをお話ししました。その続きをお話ししましょう。



さて、いよいよ試験の日になりました。私の住まいのある埼玉県新座市より東西線「浦安駅」まで1時間30分以上かかり、さらにバスの車内で30分揺られながら、「これは遠い」、「無理だ・・・通勤できない」と心の中でつぶやきが始まりました。



そして着きました。目的地であり、バスの終点「舞浜車庫」に。

バスを降りた目の前には、砂埃が舞う平原が広がり、「何もない!!!」が第一印象です。「本当にここに東京ディズニーランドができるの?」と頭の中に不安と疑惑の心が宿りました。11月の中頃だったためか、肌寒く、その寒さがさらに私の不安を煽ったように感じます。しばらく歩道を歩いていると、右側に2階建のプレハブがいくつも立っていました。それはまさに工事現場の事務所棟そのものです。



ところが、試験会場のあるプレハブに入っていくと、「おっと!雰囲気が違うぞ!」他の一流会社に負けない(と思う)立派な受付があり、そこには美しい受付嬢(だったと思う)がいたのです。その受付嬢は、美しいだけでなく、やたら親切だったことを今でも覚えています。「まるでお客さまをお迎えするように新しい仲間をお迎えする!」この応対は、現在の新人キャスト(新人スタッフのこと/ディズニーでは「出演者」という意味を込めて従業員をこのように呼びます)の導入研修にも活かされています。帰り間際に受付のお姉さんから言われた「ありがとうございました」という笑顔を添えた言葉は今でも忘れられません。それがなければ、多分入社していなかったと思います。この美しいお姉さんが私にピクシーダスト(妖精の粉)という魔法をかけてくれたのかもしれません。



ここで訂正しておくことがあります。

私は、この試験の日までディズニーに入社するものと考えていたのですが、実は株式会社オリエンタルランドの入社試験を受けていたということです。面接官に言われ、初めて気づくという大失態です。結局、無事入社することができたわけですが、オリエンタルランドとディズニーの関係を詳しく理解するのに約2年の時間を要しました。私がユニバーシティ・リーダーという仕事に就いてからのことです。

その後、身辺調査が行われ、無事内定をもらうことができました。

近所のおばちゃんが「ぶんちゃん!なんかオリエンタルなんとかから電話かかってきたわよ。良く言っておいたから」と言われたことをよく覚えています。



そしていよいよ1983117日入社の日を迎えたのです。


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【次回 ~東京ディズニーランドの驚きの導入研修







CSビルティング研修


~顧客満足構築のヒントを提供する研修~