先ほどまで空一面を覆っていた雲は、俄に吹き出した強風にたちまち押し流されたのだろう。
吸い込まれそうなほどに蒼い空が、どこまでもどこまでも続いている。
この蒼を辿っていけば、果てしなく遠い世界へと誘（いざな）われそうな気がする。
真っ蒼な空を見上げると、風が強く吹くにつれ、大きく揺れ動く木の枝が目に映った。
モミジの木だ。
父のモミジの木だ。
２０年以上前に、父が植えた苗木がこんなにも大きくなり、
庭の美しい景観を作ってくれるようになった。
今年もモミジは、芽吹きの季節を迎えた。
昨日の雨の滋味をたっぷり吸い上げ、黄緑の小さな葉芽と紅色の花芽を少しずつ展開しようとしている。
（モミジの木の過去記事はこちらです★）
ああ、それなのに、このモミジの生の凌駕に代わって、
お父さん、あなたはまもなく逝こうとしているのですね。
切ない思いと共に、あなたの優しさと数々のあなたとの思い出が、我が胸を締め付けます。
優しい父。叱られた記憶は一度もない。
いつもいつも、仕事一筋の父の背中を見ていた。
山積みの仕事を持ち帰り、家族が寝静まった夜中も黙々と机に向かっていた。
そんな父の後ろ姿に、絶対に教師だけにはならないと誓った筈なのに・・・・・
気付いたら、姉弟妹三人の中で私だけが、同じ道を歩んでいた・・・・・・。
人に誠実であれ、優しくあれ、仕事には誠意を尽くせと、
あなたの背中はわたしに教えてくれた。
幼い日々の思い出は、忙しい仕事の合間に、時間を作って遊んでくれたこと。
柿の木の下に、川原から砂を運んで作ってくれた砂場。
日陰に水を張った盥を置き、ブリキのポンポン船やゴムのカエルの玩具で遊んでくれた夏の日。
一緒にお風呂に入って、「１０までゆっくり数えたら出ようね。」と言ったのに、
何度も何度も催促された数え直し。
竃の前で、一緒にお湯が沸くまで炎をじっと見つめていた私は２歳半、弟誕生の日。
弟と二人並んで、玄関であなたの帰りを「お帰りなさい。」と出迎えると、「はい、おみやげだよ。」
小さな掌に乗せられた、オレンジの風船ガムやグリーン・チューイング・キャンディーの箱。
帰宅が遅い父と我が子のコミュニケーションにと、大箱買いしては
毎日小箱をポケットに忍ばせていたと、母から後にきました。
小学校時代、体育嫌いの娘のキャッチボールの相手をしてくれましたね。
加減して投げてくれるボールだから、キャッチできたのに・・・・
「うまいぞ！その調子だ！。」って、自信を持たせてくれましたね。
夏休みの自由研究へのアドバイス。毎年毎年、飽きもせず理科研究。父の専門だから・・・・。
賞を何度も取らせてもらいました。
６年生の冬、理科研究発表会に学校代表で出させてもらい、
ドキドキ、しどろもどろになって発表したのも懐かしい思い出。
初めての中学の中間テストの結果に、目を細めてくれた父。
「頑張ったなぁ。」の一言が嬉しかった。
その後の定期テストの度に、「どうだ、分からないところはあるか？あったら、何でも聞け。」と。
「大丈夫だよ。いいよ。分かるから。」と、反抗的な娘の態度が寂しかったかな・・・・？
でもね、いつでもお父さんのことは大好きだった！ ホントだよ！
「どうしても、あのライバルを抜けない。」と言ったとき、
「追われる身は、追う身より辛いんだ。」 その時は意味が理解できなかったけど、
努力することの大切さは、伝わったと思う・・・・・・。
楽しい、懐かしい思い出は、次々に巡り、尽きることがない・・・・・・。
残された時間は、どれほどだろうか？
お父さん、私はあなたの娘であることが誇りです。
お父さん、私はあなたの娘でいて、幸せです。
お父さん、食べ物が喉を通らなくなり、お腹が満たされなくなっても、
９０年間のあなたの人生の
６０年間のあなたの妻と手を取りあって築き上げてきた夫婦の
５７年間の娘としての
幸せな思い出で、心を一杯に満たしましょうね。
それが私にできるあなたへのささやかな最期のプレゼントです。
苦しい息づかいで、最期の日々を頑張っているあなたへのプレゼントです。
あなたを引き留めはしません。
素敵な人生だったね、素敵な夫婦だったね、素敵な親子でいられたね、
そんな幸せに満ちた気持ちで、最期の時を過ごしましょうね。
お父さん、愛してます。
雨の後の昨日の朝、
庭の花や葉に滴る水滴が、父の涙のように見えて、仕方ありませんでした。
ジューンベリーの白い花にも
バラ・ジャック・カルティエの若葉にも 
クレマチス・ダッチェス・オブ・エディンバラと、クレマチス・ＦＨヤングの蕾にも
ブルー・キャット・ミントの蕾の塊にも
やっと咲き始めたスノーフレークスの釣り鐘型の花にも 
キラキラ光る涙が、留まっていました。
