京都府相楽郡南山城村に入り、京都高山局でのテーリングによって「44」マルチは確保したが、ここから暫くは、京都府内でのテーリングが続く。
 そうは言っても、いつまでも京都府に拘っている訳にも行かず、適当なところで滋賀県に移らねばならない。
 そうなると、やはり「3ポイント局を取れるだけ取ってから」と考えるのが定石だろう。

 現在地の京都府・山城南部地域で、となると、相楽郡(精華町・和束町・笠置町・南山城村)、綴喜郡(井手町・宇治田原町)が挙げられるが、精華町は市制施行した木津川市を挟んで西に離れている。また井手町は、JR奈良線や片町線(学研都市線)、近鉄奈良線で攻略可能なので、それ以外の4町村をターゲットとしよう。
 そうなると最後は、宇治田原町からそのまま滋賀県甲賀市の旧・信楽町方面に抜けられる。
 滋賀県側には、蒲生郡(竜王町・日野町)もあるが、大合併で誕生したため、結構な「広域」になっている甲賀市を通り抜けて、となると、ちょっと時間的に届かないような気がする。
 滋賀県に関しては、今回は「46」マルチの確保に主眼を置き、甲賀市でちょこちょこ……で済ませよう。

 この先は、月ケ瀬口駅を潜り抜け国道163号に出るのだが、このJR関西本線・月ケ瀬口駅と隣の島ケ原駅の間が、京都府と三重県の堺になる。
 地図で見れば、この周辺の僅か数kmで京都府と三重県が「接している」ような形になっており、北から滋賀県、南から奈良県が迫っているようにも見える。
 このような地勢なので、今回のように複数の府県を「一気獲り」できるのだが、似たような事例として有名なのが、埼玉・群馬・栃木・茨城の4県だろう。
 JR東北本線の古河駅(茨城県)から東武日光線の新古河駅(埼玉県)までは2kmも離れておらず、新古河から2駅先の板倉東洋大前駅は群馬県、その次の藤岡駅は栃木県になる。
 新古河と板倉東洋大前の間にある柳生駅(埼玉県)から少し歩くと、埼玉・群馬・栃木の「3県境」が、ちょっとした観光スポットとして存在する。駅から簡単に徒歩で到達できる平地で3県が接するような事例は珍しい。
 前述したとおり、茨城県も至近まで迫っているだけではなく、渡良瀬川が利根川と合流した先、古河や柳生から10kmも離れていない所まで、実は千葉県(野田市・旧関宿町)が伸びて来ていたりもする。
 「ゆうちょラリー」の都道府県マルチ稼ぎ的には、活用のし甲斐があるのだが、あまりに近過ぎてか、未だに放置してしまっているのだが。


 さて、国道163号に突き当たった今山交差点の向かい側に、「道の駅・お茶の京都 みなみやましろ村[26019]」があったので、トイレ休憩として立ち寄る。


 今回の遠征では、唯一の「道の駅」となった。

 道の駅を出て、国道163号を西進。
 暫く走った所で左に分かれる旧道のような道に入り、村役場方面へ。この道は、役場の手前で、何度か登場している府道82号・上野南山城線に合流する。

 役場を過ぎてすぐに、44210:南山城郵便局があった。

 

 

 これで南山城村は完訪となる。

 何故か、局内に貼られていた「警察庁指定・重要指名手配」のポスターは、昨今、世間を騒がせた容疑者が載ったまま。

 大抵は、上から「逮捕・ご協力ありがとうございました」みたいなシールが貼られているのだが。

 そのまま西進し、再び国道163号に戻って笠置町へ。
 町役場の先で、木津川の南側へつながる笠置大橋への府道4号・笠置山添線へと入り、JR関西本線の笠置駅もある市街地と思しき一帯へと入って行く。


 駅方向への道が分岐する、「市場」という交差点に接して44190:笠置郵便局があったが、駐車場の場所がすぐにわからず、一度通過。折り返して再探索することにしたが、道が狭隘な上に交通量も少なくはなく、方向転換にも難儀した。

 

 

 結局、局舎の脇に駐車場があることは判ったが、来客用駐車場に、普通に業務用の「赤い郵便車」が駐まっていたため、そこが来客用だとはすぐに判らなかったのだった。

 笠置町の郵便局はここだけなので、また国道163号に戻って西進。「和束町」という看板を過ぎたが、和束町が国道163号や木津川に接するのは、この付近だけである。
 木屋という小さな交差点で右に分かれる府道62号・宇治木屋線に入るのだが、その先の木屋峠までの道が「険道」ならぬ「腐道」とでも呼ぶべき凄まじい道だった。

 しかしこれは、この後に続く更なる悪路との闘いの「序章」に過ぎなかった。

 そもそも「山城」とは、古くは「山背」とも記され、従前の(奈良など大和の)都から見た「山の向こう側」という意味から来ているそうだ。
 律令国の起源の頃には、山城などの現在の京都府は「辺境の地」だったのだろう。
 何となく「3ポイント局を」と考えたコース取りだったのだが、平面の地図上でしか考えていないので、多少の山道は想定していたが、想像を遥かに超えた道が続くことになる。

 なお、和束町にある郵便局の訪問だけを考えた場合には、もう少し先の木津川市加茂町井平尾から府道5号・木津信楽線経由で行けば、幾分マシだとは思われるが、その後に綴喜郡方面に出るためには、JR奈良線に沿う国道24号まで出て国道307号へと迂回することになってしまう。
 和束町が綴喜郡ではなく相楽郡である背景は、このような地形からもなるほどと思えてくる。

 もしも、そのまま国道163号を西へと進むなら、木津川市に入って旧・加茂町域になる。
 JR関西本線・加茂駅に近い44036:山城加茂局は既訪なのだが、そこから南に入った新しそうな住宅街の中にある山城南加茂台局は未訪。
 この山城南加茂台郵便局の為替貯金取扱局番号(局所コード)は、「44444」で、もしも「平成」が継続していたとすれば「平成44年(2032年)」の4月4日は大騒ぎになったかも知れない……のだが、実は日曜日である。
 「令和44年(2062年)」まで生きている自信がない(生きていれば90代半ばになる)が、その年の4月4日は火曜日らしい。

 なお、この趣味の業界では皆が計算していると思うのだが、令和11年(2029)年の11月11日も日曜日なので、長野県の飯田風越局が、再びあのようなことになるとも思えない。
 そう言えば、かつて平成22(2010)年2月22日にも多くの同業者が集った(筆者も「参加」した)22222:亀山井田川局も、同じくJR関西本線の沿線だ。今回も「ゆうちょラリー」用の口座で、同日に「22222」と「44444」を収めることも可能だな、とは思ったものの、既述のとおり「3ポイント局優先」と「マルチ稼ぎ優先」、更に日程その他の関係で見送ることにした。

 木屋峠を過ぎると、カーブはそれほどでもなくなったが、道が狭いのは相変わらず。
 件の府道5号と交差する白栖橋という交差点で右折し、和束川に沿って暫く進むと、44045:和束郵便局があった。

 

 

 実はこの先、この府道5号を進めば、44754:湯船簡易郵便局があるのだが、2020(令和2)年4月1日から一時閉鎖中だ。
 和束局の他に、和束町内にある郵便局はここだけなのだが、元の受託者とは契約解除になっており、現在も日本郵便のサイトでは受託者募集地域として挙げられているので、当分は復活しないだろうと思われ、仕方ない。
 この湯船簡易郵便局は、それまでも何度かの一時閉鎖があり、郵政公社時代以前のどこかで、為替貯金取扱局番号が「44702」から現在の「44754」に変わったという経緯もあるらしい。

 ということで、今回想定している相楽郡でのテーリングはここまでとなる。

 白栖橋まで戻り、再び府道62号を北へと進むことにする。

 この白栖橋交差点の傍に、「ローソン和束南店[062805]」があるのだが、ここにはかつて「道の駅・茶処 和束[26001]」があった。
 京都府で最初に登録された「道の駅」だったが、2003(平成15)年いっぱいで営業を終了し、翌年3月末に登録抹消されている。登録抹消となった道の駅は、これが全国で初めてだったらしい。

 府道62号は、犬打峠を越えて相楽郡から綴喜郡へ入る。
 これがまた、木屋峠を遥かに凌駕する険しい道で、カーブも凄いが、勾配もとんでもない箇所があり、対向車との離合も困難な区間も長い。
 現在、ここをトンネルで抜けるためのバイパス工事が進んではいるのだが、その工事の車両が、貴重な「行き違いできる区間」に止まっていたりして、難儀する。
 また、木屋峠を通った時には、あまり対向車もなかったのだが、犬打峠では結構な対向車があり、相当高度な運転テクニックを要求されるので、運転の自信がない方には全くお勧めできない。この方面をテーリングされる場合には、郡ごとに分割して、まともな道を通ることを強く推奨したい。

 綴喜郡宇治田原町の中心街が近付き、府道から右折。田原小学校前という交差点で国道307号と交差する。
 この交差点を直進し、突き当りを左折すると44191:郷ノ口郵便局があった。

 

 

 局舎の周囲には、来客用駐車場がないようで、少し手前にある「郷之口会館」という公民館のようなものの前にある駐車場が「臨時駐車場」として用意されているらしい。
 地名としては「郷之口」と「郷ノ口」が混在していてややこしいが、どうやら明治期に「郷之口」から「郷ノ口」に村名表記が変わっているらしい。1889(明治22)年の町村制施行で綴喜郡田原村(当時)が誕生した際の母体となった村の一つは、既に「綴喜郡郷ノ口村」という表記だった。
 その田原村が、隣接する綴喜郡宇治田原村(これまたややこしい)と合併して、現在の宇治田原町になっているのだが、役場は旧・田原村の役場が充てられた。


 田原小学校前の交差点まで戻り、傍にあった「セブンイレブン宇治田原郷之口店[31662-5]」に立ち寄る。


 最近、何となく始めている「セブンイレブンめぐり」の一環だが、これで京都府店舗(9都道府県目)も初訪問になった。

 国道307号に入り、東へと進む。

 

 

 暫く走ると、44056:宇治田原郵便局があった。

 「京都府はここまでですが、この先はどちらへ?」と訊かれ、信楽から伊賀上野方向に抜けようかと思っている旨を答える。
 余談だが、たまに、こちらが来ることを予想していたかのような反応がある郵便局に当たることがあるのだが、このようなやり取りで、近隣の郵便局に情報が流れていたりするのだろうか。

 局名こそ、町名をそのまま名乗る郵便局で、局所コードもこちらのほうが古いのだが、集配はこちらではなく、先程の郷ノ口局が受け持っている。
 これは、前述した合併の経緯により、町の中心は旧・田原村になったが、新たな町名は旧・宇治田原村から取ったような形になったため、この局の名称は旧・宇治田原村に由来していると考えるのが自然だろう。
 近くには「宇治田原茶発祥の地」などというものがあるようで、この界隈のほうが先に開けた、ということなのかも知れない。
 また、この局はかつて、少し国道から外れた湯屋谷という集落にあり、最初は湯屋谷郵便局と称していたようだが、現在地に移り、当時の村名を名乗るようになった、と推察する。

 実は、その「宇治田原茶発祥の地」の近くには、「家康・伊賀越えの道」とされる史跡もある。
 本能寺の変の後、一旦三河に戻ろうとした徳川家康公(以下敬称略)が、堺から伊賀を越えて、伊勢の長太(なご・現在の鈴鹿市、近隣の町名や近鉄名古屋線の長太ノ浦駅にもその名を留める)から船で伊勢湾を横断したという、所謂「神君伊賀越え」は、この界隈を通過したと言われている。

 (つづく)