「5月7日」限定で東京羽田が頒布

 

イナリワンの蹄鉄(ていてつ)拓が押された御朱印の見本・サンプル(提供・穴守稲荷神社)


 
イナリワンの蹄鉄(ていてつ)拓が押された御朱印の見本・サンプル(提供・穴守稲荷神社)
大井大賞典口取り写真

 

  イナリワンの蹄鉄(ていてつ)が御朱印に! “平成3強”の名馬イナリワンの馬名の由来となった東京都羽田にある穴守稲荷(あなもりいなり)神社で、同馬の誕生日である5月7日に摂社祭典の「必勝稲荷祭」が行われる。

 

今年は当日限定で、イナリワンの蹄鉄拓を使用した特別御朱印が頒布されることがわかった。
 

必勝稲荷祭は穴守稲荷と深い縁のあるイナリワンの誕生日に行われる摂社必勝稲荷のお祭りであり、「我が国の競馬界の発展と競走馬の健康、活躍を願う」もの。

 

正午に開式で、誰でも参加可能だが、開始5分前までに社務所で手続きが必要となっている。

 

当日限定の御朱印の頒布は午前8時30分から午後5時までで、初穂料は500円。
 

イナリワンは大井競馬でデビューし、88年に東京大賞典を制覇。

 

その後、JRAに移籍し、武豊騎手とのコンビで89年の天皇賞・春、宝塚記念、柴田政人騎手とのコンビで有馬記念を制し、同年の年度代表馬に輝いた。

 

また、ライバルのオグリキャップ、スーパークリークとともに「平成3強」と称された。

 

同馬はオーナーに請われ、当時の穴守稲荷の禰宜(ねぎ)が穴守稲荷の「イナリ」と、一番出世して欲しいという願いから「ワン」という名を組み合わせ命名している。

 

現在、穴守稲荷神社ではオーナーから奉納されたイナリワンに縁のある記念品が展示中だ。
 

イナリワンが制した89年と同じクリスマスイブ決戦だった昨年の有馬記念では、同社の宮司である井上直洋氏が日刊スポーツの紙面でレースを予想。

 

イナリワンと同じ誕生日ということからドウデュースの勝利を予知し、見事に予想を的中させている(※的中馬券は全額、子ども食堂に寄付したとのこと)。
 

イナリワンの蹄鉄拓を使用した特別御朱印。

 

平成初期の競馬に熱狂したファン、当時を知らない若い競馬ファン、中央競馬ファンも地方競馬ファンも、必見の蹄跡だ。

 

2024年4月29日22時17分
(日刊スポーツ)

 

 

 グラサン

 今の生産界では考えられない事だが、5月7日生まれは遅生まれに成る訳で改めて我が師匠・福永二三雄の馬の診る目・判断の的確さを思い知らされる。

 

デビューを大幅に遅らせ、デビューさせたのが年の瀬の12月9日だが、何度もこのブログでも解説した通り大型馬が主流の時代と成り入厩当初は440k台の馬格(私には470k台に見えたが)しかなく、慎重に使いだし・ローテーションを組み立てていた。

 

騎乗したのは師匠・福永二三雄が最も信頼する宮浦正行騎手(JRA・ジョッキー川田将雅の叔父)で、「ダービーを取れる馬だから…」の声を掛けての騎乗依頼だったが、後日談に「福ちゃんもとうとう目が狂いだしたなぁ…滝汗がデビュー戦での印象だったが、「見せ場位は作らないと…チーンで強引に向こう正面から一気に動き出し「ムムム…びっくりの反応に「この馬は半端じゃない滝汗と感じたと言う。

 

2戦目が1月2日を予定していたが、飼い葉桶で額を割り馬房は血の海に成り取り消したが、この事により予定が大幅に狂ったが、師匠は慌てず・焦らず「ダービーだけが競馬じゃないグラサンとローテーションを切り替えた。

 

デビューから3連勝で、出走させる事は出来た東京ダービーだが「ダービーが無理なら日本一の馬を目指すニヤリ」と気持ちを切り替え、この時点で「天下取り花火を決意している。

 

この事は当社競馬教室に師匠をゲストに呼んで壇上で、会員の皆様に解説・紹介したが、馬名のイナリワンは穴守稲荷神社から頂いたもので、馬名にイチとかワンとかファーストを付けたのは、勿論NO1を目指す意味も有るが「俺の通信簿はいつもオール1だったからなぁ…ニヤリが師匠らしいジョークだった。

 

「師匠!?冗談でしょ、師匠の時代は高・乙・平なんじゃ…」「何じゃそれ???」とおとぼけも師匠の18番である。

 

今年の天皇賞特集でもお伝えしたが、勝ったテーオーロイアルは体型・フットワーク・馬体のラインはイナリワンと瓜二つで、正にステイヤーの見本とも言えるだろう。

 

イナリワンは中央移籍後1度として1番人気に成ることなく、予告通り日本一の座・年度代表馬と成ったが、御朱印にも刻まれている一粒万倍は的を得た言葉とも言えるだろう。