東京新聞に乗っている記事ですが

 

 

【動画あり】最後の石炭列車 惜しまれつつ幕おろす

 色形そろった黒い貨車「ホキ10000形」廃棄へ

2020.03.06 東京新聞

 

 

 東京湾の川崎港から埼玉県熊谷市まで、

首都圏を縦断して走る国内最後の石炭貨物列車が、

2月25~26日の運行を最後に廃止された。その姿を惜しむ鉄道ファンも少なくない。

黒い貨車の列をディーゼル機関車や電気機関車がけん引する雄姿を、紙上で再現する。

 

 

◆川崎から熊谷へ 20両編成の黒い貨車

 廃止を二週間後に控えた2月12日。

川崎市川崎区の運河にかかる橋で待っていると、来た、来た。

先頭は上半分が朱色のディーゼル機関車。黒い貨車を二十両従えている。

ガタン、ゴトンとそのまま擬音語になりそうな音を立てて渡る。

 すかさずシャッターを切った杉並区の会社員白鳥洋一さん(59)は

「なくなると聞いたので撮影しようと思って。

COの排出削減のためにも、鉄道輸送を続けてほしかったけど…」と残念そう。

◆太平洋セメント工場へ 輸入石炭運んで40年

 この列車は、オーストラリアなどから輸入した石炭を、

埼玉県の太平洋セメント熊谷工場へ運んだ。

 

臨海部の工業地帯を走るJR鶴見線の終点・扇町駅から、

さらに海側に延びる線路の先で石炭を積み込む。

一両当たり35t入るので、一編成20両で700tにもなる。

 午後零時五分に扇町駅を出発。

けん引役は途中でディーゼル機関車から電気機関車に代わり、J

R武蔵野線や高崎線を経て、午後六時四十分に熊谷貨物ターミナル駅に到着。

一晩休み、十両ずつの二編成に分割され、秩父鉄道の線路を通って工場に向かう。

 

(2)EF65形電気機関車に引かれ、武蔵野線を走る石炭貨物列車=府中市で

 

 太平洋セメント(港区)によると、運行は1980(昭和55)年6月に始まった。

オイルショックの影響で、セメント製造に使う燃料を重油から石炭に変えたためという。

それから四十年近く。貨物列車を廃止した理由について、

同社は「事業環境等を総合的に判断し、トラック輸送に切り替えることにした」と

説明するにとどめている。

 

◆「国内最後の石炭貨物の廃止、趣味的には残念」

 鉄道総合情報誌「Rail Magazine」の松沼猛編集長(51)は

「石炭貨物列車と言えば、北海道をはじめ全国の炭鉱から

港に石炭を運ぶ列車が一般的だった。

こうした列車は炭鉱の閉山とともに徐々になくなり、

昨年、北海道で最後の列車が廃止された」と解説する。

そして輸入炭を内陸に運ぶ太平洋セメントの列車が、

国内最後の石炭貨物列車として残されたという。

 

(3)ホキ10000形の貨車に積み込まれた石炭=国分寺市で

 

 松沼さんは「石炭や石油などを運ぶ専用貨物列車は、

色と形のそろった貨車が一編成になっているため、見た目がきれい。

黒い貨車が続く石炭列車が見られなくなるのは、趣味的には残念」と惜しむ。

 

(4)秩父鉄道三ケ尻線を走り、太平洋セメント熊谷工場へ向かう=埼玉県熊谷市で

 

 

◆貨車「ホキ10000形」 列車廃止で廃棄の運命

 その黒い貨車「ホキ10000形」は、145両あった。

石炭を積んだ貨車は熊谷工場に止められ、石炭を降ろし終えた貨車で

20両編成を作り、熊谷貨物ターミナル駅に移動する。そして翌朝に同駅を出発。

午前11時16分、扇町駅に着く。

石炭35トンを積める貨車「ホキ10000形」

 

 そこには石炭の積み込みを終えた二十両編成が用意され、

からっぽの列車を引っ張ってきた機関車を付け替えてまた工場に向かう。

こんなローテーションを組むため、多くの貨車が必要だったらしい。

こうして活躍したホキ10000形だが、列車の廃止とともに廃棄される運命という。

 

続いて北海道新聞の記事です

 

国内の石炭列車 姿消す 川崎―埼玉・熊谷間 2月で運行終了

2020.03.12 17:56 北海道新聞

 

 

 

 鉄道愛好家に見送られながらラストランを走る石炭列車=2月、埼玉県熊谷市(大沢祥子撮影)

  

 川崎市から埼玉県熊谷市までの首都圏を40年間、

縦断して走っていた国内最後の石炭貨物列車が、2月で運行を終えた。

昨年6月には、国内で唯一の石炭輸送専用路線だった

「太平洋石炭販売輸送臨港線」(釧路市)が廃止されている。

北海道を発祥に、明治以来130年余の歴史を誇り、日本の産業を支えた「石炭列車」は全て姿を消した。

 石炭貨物列車が運行されていた区間は、JR鶴見線の扇町駅(川崎市)から、

秩父鉄道の三ケ尻駅(熊谷市)までの約110㎞。

1980年の運行開始から、川崎港に陸揚げされた輸入炭を、燃料として使う

太平洋セメント熊谷工場まで運んだ。

列車は1両に最大35t積める20両編成で、ディーゼル機関車や電気機関車にけん引され、

週に5、6本走っていた。

 廃止について、運行をJR貨物などに委託していた太平洋セメント(東京)は

「事業環境や経費などを総合的に判断した」と説明する。

石炭の輸入量や使用量は当面変わらない見通しだが、運行開始から使う貨車の老朽化などを受け、

トラック輸送に切り替えた。

 最終運行の2月26日には、列車の愛好家50人以上が線路沿いなどで撮影。

東京都在住の写真家中村聡さん(32)は「長い編成が多く、貨物らしい重々しさが好きだった」と惜しんだ。

 国内の石炭列車は、1882年(明治15年)に

手宮(小樽市)~幌内(三笠市)間で開業した「官営幌内鉄道」が先駆け。

産炭地の北海道や九州を中心に全国各地を走り、1960年代まで鉄道貨物の中心だった。

しかし、石油へのエネルギー転換や輸入炭への切り替えに伴い、

石炭列車も各地で次々に廃止された。

 石炭産業や鉄道に詳しい釧路市立博物館の石川孝織(たかおり)学芸員(45)は

「一つの歴史が終わった寂しさはある。

ただ、海外では産炭国のオーストラリアや中国、米国などで石炭列車は今も活躍している」と話している。

(大沢祥子)

 

 

私の小さい頃は、家の近くの函館本線にも石炭列車が走っていました