読売新聞に乗っている記事ですが

 

4の字固め、デストロイヤーさん死去…88歳

2019.03.08

 

覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」として人気を誇ったリチャード・ベイヤーさん

 

 【ニューヨーク=橋本潤也】

覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」として1960~70年代に

日本のプロレス界で人気を誇ったリチャード・ベイヤーさんが7日、

米ニューヨーク州の自宅で死去した。88歳だった。

息子のカートさんがフェイスブック上で明らかにした。

 大学卒業後、米国のプロレス団体でプロレスラーとして活動を始めた。

必殺技「足4の字固め」を武器に、来日して力道山やジャイアント馬場と対戦し、

日本にプロレスブームを巻き起こした。

1963(昭和38)年の力道山との対戦は、テレビ視聴率64%を記録した。

 ユニークなキャラクターから日本のバラエティー番組にも出演して人気を博した。

引退後も日米のスポーツ交流に力を尽くすなど、親日家として知られた。

2017(平成29)年、日米両国の友好親善や青少年交流に

貢献してきたことが評価され、外国人叙勲で旭日双光章を受章した。

 

続いて、日刊スポーツに載っている記事ですが

 

デストロイヤーさん死去、88歳 子ども妻に囲まれ

2019.03.08 08:18 日刊スポーツ

力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる

伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが

7日(日本時間8日)、亡くなった。享年88歳。

同日に複数の米メディアが報じた。元

プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで

報告したもので「父のデストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが

今日正午すぎに亡くなりました。

自宅で子どもたち、妻に囲まれながら平穏に去っていきました」などとつづった。

デストロイヤーさんはここ数週間、病院のケアを受けていたという。

米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、

62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、

覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。

同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。

63年には日本プロレスに初来日し、力道山と対戦した。

特に同年5月24日、力道山とのWWAヘビー級王座は平均視聴率64%をマークした。

以後、ジャイアント馬場のライバルとして大きな注目を集め、

またアントニオ猪木とも対戦している。

73~79年には日本に在住し、全日本プロレスの所属選手として活躍。

馬場やジャンボ鶴田とタッグを組み、ブッチャーやミル・マスカラスと対戦し、

人気を博した。そのキャリアは約40年、

日米合わせて8,000試合以上におよんでいる。

また日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」に

レギュラーで登場し、和田アキ子、徳光和夫アナウンサーとの

掛け合いも人気を集めた。93年に現役を引退。たびたび来日し、

17年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章していた

 

和田アキ子「デスは一緒にがんばった同志」愛称で…

2019.03.08 12:53 日刊スポーツ

 

覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが

7日(日本時間8日)に88歳で亡くなったことを受け、

テレビ番組で共演した歌手の和田アキ子(68)が追悼のコメントを寄せた。

和田は「デスは『うわさのチャンネル』で一緒にがんばった同志みたいな存在です」と愛称で追悼。

交流も深かったといい、「ご自宅にも何度もお呼ばれして、

家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。

私のデビュー40周年の時のアポロシアターのライブにも、

普通にチケットを買って来てくれていて、アンコールで、

お花を持ってステージ近くに駆けつけてくれた時はビックリしました。

本当にうれしかったです」と回想した。

最後に会ったのは2年半前。

「雑誌で対談をした時でした。昔話に花が咲いて、とっても楽しい対談でした。

その時から足はものすごく悪そうで心配していたのですが…」と、

体調を気遣ったという。

和田は、「悪役レスラーだったのに、そのキュートなキャラクターで

お茶の間の人気者になり、一時代を築いたことは本当にすごいと思います」とし

「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と故人をしのんだ。

デストロイヤーさんと和田は、

日本テレビ系で1973(昭和48)年から79(昭和54)年に放送された

バラエティー「金曜10時!うわさのチャンネル!!」で共演。

「アコのゴッド姉ちゃん」のコーナーは、和田がガキ大将的な役、

せんだみつおとデストロイヤーさんがその仲間として、

徳光和夫アナやゲストに、足4の字固めをかけるのが名物だった。

「ゴッド姉ちゃん」はその後、和田の代名詞となった。

 

そうですね、デストロイヤーさんは、プロレスラーとしても人気がありましたが

昭和50年代には、バラエティー番組にもよく出ていまして、そちらでも人気がありましたからね。

 

デストロイヤーさんとアントニオ猪木さん

デストロイヤーさんと徳光和夫さん

 

改めまして、謹んで、デストロイヤーさんへのお悔やみを申し上げます。