1月31日(水)深夜放送のラジオ番組「AKB48のオールナイトニッポン」に、
AKB48グループで瀬戸内7県を拠点にするアイドルグループSTU48から、
瀧野由美子、土路生優里、藤原あずさ、田中皓子、矢野帆夏、福田朱里の6人が出演。
上京の経験が少ないというメンバーらが、東京と地元の違いについて驚いた様子で語った。
まいける@北海道滝川市@k_maeike
【オールナイトニッポン.com NEWS】瀬戸内発・STU48、山手線の深夜運転にビックリ! #STU48 #山手線 https://t.co/cY0LmxXys4
2018年02月05日 12:29
という事で、このブログ何度か書いています通り
昭和63年10月から平成2年9月までの約2年間、埼玉県深谷市の大手家電メーカTO社に
期間社員(当時は有期社員と言っていました)として、勤めていました
仕事内容は、最初に入ったところは、ビデオ部門のVHS Cカセット ビデオカメララインの
最終検査の仕事でした。平成む元年4月頃からは、同じラインの部品担当に代わり
下の階に部品が届くと、エレベーターで上の階に上げて、作業中の人の所に持っていて
空箱と交換すると仕事をしていました。
流れ作業の時はその日の目標台数をこなすのが大変でしたが、部品担当になってからは
ある意味楽になりましたし、たまに、敷地内の別の建物まで、部品を取りに行ったことがありました。
残業は、2時間または、4時間ありましたが、自分の所の残業の時もありましたが
よそのラインの応援に行く事もありました。
そのときに、やはり大手企業は、違うなと思ったのは、入退勤時は、カードで行っていました。
(正社員の人は顔写真付き身分証でやっていました)
そして、大変だったのは、通常の月は2枚、年に数回ある強調月間の時は30枚
書かなければならなかった、改善提案なのですが、これを提出したら1枚200円給料に
組み入れるという事なのですが、2枚でも、ぎりきり、時々1つも浮かばない時もありましたし、
30枚の内容なんて、全然思いつかないのですが
部品担当の上司が、ラインの人達の中でも有名な、改善提案をたくさん出す人で
通常の月でも30枚、強調月間の時は100枚出していました。
その人が言うには、
「いつも作業していて、これは、なんでこのような手順なのか、もっと簡単に、楽に、効率的に
作業できるじゃないか、私はこのように変えたらいいと思う、それを書いたらいいんじゃない」
と言っていたのですが、それが思いつかないのですよねと答えていました。
そのあと、平成2年2月から、テレビ部門のBSチューナー組み立てラインの天板のビス止め
作業に移りました
私の住んでいたのは、第二男子寮で、工場に近いところにあって、工場までは徒歩で通っていました
同じ敷地内にある、ブラウン管工場の人と同じ寮で、私たちは日勤のみ(8:00~1700)ですが
ブラウン管工場の人達は、昼夜3交代制でしたので、事実上門限はありませんでした
部屋は、原則、2人部屋ですが、最後の方は1人で住んでいました。
そして、休みの日は、東京方面に出かけるのですが
最寄り駅は、JR高崎線籠原駅に、この駅は、始発電車がたくさんあるのと、高崎方面から来る
電車でも、5両~10両増結することが多いのです。
北海道では、特急列車の方が多いのですが、高崎線は普通・快速電車の方が多くかったのですが
たまに、特急列車や、上越新幹線で東京に行っていました。
そして、私は、混雑が原因で、目的の駅・バス停に降りられなかったという事はありませんでした。
あと、北海道出身ですから、濃いそばつゆもなんとも思いませんでした。
あと、東京にてかけた目的は、各種買い物、一般観光、鉄道趣味関連、
(ただ目的の列車路線に乗る事も含む)そして、アイドルイベント(握手会参加)でした。
この当時のアイドルのイベントと、言えば、3つの勢力に分かれていますね
ます、どこの会場にも一番前に陣取っていた、親衛隊の人たち、そして、大きなカメラ機材を
持っていた、カメラ小僧の人たち、そして、私を含む、一般のファンの人たちでした。
その当時、アイドルのイベントを、たくさんやっていたのが、池袋シャンシャインシティーの
噴水広場だったのですが、そこには、行ったことがなく、よく行っていたのが、西新宿のNSビルでした。
NSビル
その握手会で、印象に残っているのは、名前は、出しませんが、当時気が強い、変わった子で
知られていて、その握手会の当日がJRタイヤ改正の日だったので、質問コーナで
「今日JRダイヤ改正の日ですけとどう思いますか」質問が出されたのですが
普通の子だったら「え~そ~なんですか?知りませんでした」 と答えるのですが
「そんな事知りません、関心ないですから」と、今風に言うとものすごい塩対応の答えで
会場からも、「そんなこと聞くなよ」という声も、上がっていました。
今では、各種SNSでいろんな情報が発信していて、それをすぐ見ることが出来ますから
STU48のメンバーもそうですし、これからはいるドラフト3期生の子たちも、東京などで
戸惑うことがあるけど、地方育ちの良さの忘れないでほしいですね