1月31日(水)深夜放送のラジオ番組「AKB48のオールナイトニッポン」に、

AKB48グループで瀬戸内7県を拠点にするアイドルグループSTU48から、

瀧野由美子、土路生優里、藤原あずさ、田中皓子、矢野帆夏、福田朱里の6人が出演。

上京の経験が少ないというメンバーらが、東京と地元の違いについて驚いた様子で語った。

 

 

という事で、このブログ何度か書いています通り

昭和63年10月から平成2年9月までの約2年間、埼玉県深谷市の大手家電メーカTO社に

期間社員(当時は有期社員と言っていました)として、勤めていました

 

仕事内容は、最初に入ったところは、ビデオ部門のVHS Cカセット ビデオカメララインの

最終検査の仕事でした。平成む元年4月頃からは、同じラインの部品担当に代わり

下の階に部品が届くと、エレベーターで上の階に上げて、作業中の人の所に持っていて

空箱と交換すると仕事をしていました。

流れ作業の時はその日の目標台数をこなすのが大変でしたが、部品担当になってからは

ある意味楽になりましたし、たまに、敷地内の別の建物まで、部品を取りに行ったことがありました。

 

残業は、2時間または、4時間ありましたが、自分の所の残業の時もありましたが

よそのラインの応援に行く事もありました。

 

そのときに、やはり大手企業は、違うなと思ったのは、入退勤時は、カードで行っていました。

(正社員の人は顔写真付き身分証でやっていました)

 

そして、大変だったのは、通常の月は2枚、年に数回ある強調月間の時は30枚

書かなければならなかった、改善提案なのですが、これを提出したら1枚200円給料に

組み入れるという事なのですが、2枚でも、ぎりきり、時々1つも浮かばない時もありましたし、

30枚の内容なんて、全然思いつかないのですが

部品担当の上司が、ラインの人達の中でも有名な、改善提案をたくさん出す人で

通常の月でも30枚、強調月間の時は100枚出していました。

その人が言うには、

「いつも作業していて、これは、なんでこのような手順なのか、もっと簡単に、楽に、効率的に

作業できるじゃないか、私はこのように変えたらいいと思う、それを書いたらいいんじゃない」

と言っていたのですが、それが思いつかないのですよねと答えていました。

 

そのあと、平成2年2月から、テレビ部門のBSチューナー組み立てラインの天板のビス止め

作業に移りました

 

私の住んでいたのは、第二男子寮で、工場に近いところにあって、工場までは徒歩で通っていました

同じ敷地内にある、ブラウン管工場の人と同じ寮で、私たちは日勤のみ(8:00~1700)ですが

ブラウン管工場の人達は、昼夜3交代制でしたので、事実上門限はありませんでした

部屋は、原則、2人部屋ですが、最後の方は1人で住んでいました。

 

そして、休みの日は、東京方面に出かけるのですが

最寄り駅は、JR高崎線籠原駅に、この駅は、始発電車がたくさんあるのと、高崎方面から来る

電車でも、5両~10両増結することが多いのです。

北海道では、特急列車の方が多いのですが、高崎線は普通・快速電車の方が多くかったのですが

たまに、特急列車や、上越新幹線で東京に行っていました。

 

そして、私は、混雑が原因で、目的の駅・バス停に降りられなかったという事はありませんでした。

 

あと、北海道出身ですから、濃いそばつゆもなんとも思いませんでした。

 

あと、東京にてかけた目的は、各種買い物、一般観光、鉄道趣味関連、

(ただ目的の列車路線に乗る事も含む)そして、アイドルイベント(握手会参加)でした。

 

この当時のアイドルのイベントと、言えば、3つの勢力に分かれていますね

ます、どこの会場にも一番前に陣取っていた、親衛隊の人たち、そして、大きなカメラ機材を

持っていた、カメラ小僧の人たち、そして、私を含む、一般のファンの人たちでした。

 

その当時、アイドルのイベントを、たくさんやっていたのが、池袋シャンシャインシティーの

噴水広場だったのですが、そこには、行ったことがなく、よく行っていたのが、西新宿のNSビルでした。

NSビル

 

その握手会で、印象に残っているのは、名前は、出しませんが、当時気が強い、変わった子で

知られていて、その握手会の当日がJRタイヤ改正の日だったので、質問コーナで

「今日JRダイヤ改正の日ですけとどう思いますか」質問が出されたのですが

普通の子だったら「え~そ~なんですか?知りませんでした」 と答えるのですが

「そんな事知りません、関心ないですから」と、今風に言うとものすごい塩対応の答えで

会場からも、「そんなこと聞くなよ」という声も、上がっていました。

 

今では、各種SNSでいろんな情報が発信していて、それをすぐ見ることが出来ますから

STU48のメンバーもそうですし、これからはいるドラフト3期生の子たちも、東京などで

戸惑うことがあるけど、地方育ちの良さの忘れないでほしいですね