~ぶらぶら江戸散歩~vol.99『尾山神社~金沢』番外編 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回も、またまた遠出をして参りました。
新幹線が延線され、アクセスがたいへん便利になりました『金沢』。
2015年に長野~金沢間が開通しました事で、東京から金沢まで乗り換え無でスムーズに行けるようになりました。北陸新幹線『はくたか』を利用すれば、最短で2時間28分でお邪魔することが可能です!!

私も、生まれて初めて、「金沢」にお邪魔いたしました!!
加賀100万石とよく言われます。戦国時代を豊臣秀吉とともに戦い、戦国統一に尽力した加賀藩祖「前田利家」。
太閤秀吉の政権を大老の一人として支え、秀吉没後は、同じく大老であった東国の大大名「徳川家康」の牽制に努めた戦国大名でした。

藩祖「前田利家」の逸話はたくさん残されております。
血気盛んであった利家、キリスト教を保護した利家などなど。
私は、今回の「金沢」で、そんな利家の足跡をたどるべく、「尾山神社」に参拝して参りました。
金沢駅から、城へと延びる大通り。その途中に、城の郭の外壁を守護するかのように立つ神社。それが「尾山神社」です。
金沢城の旧名が、尾山城。まさにこの神社の名前の由来は、金沢の由来そのもののように感じました。

「尾山神社」の祭神は、「前田利家」と、その妻「まつ」。
大河ドラマでも描かれた二人です。当時、今の真田丸のようにご覧になられた居た方も多いのではと思います。

 

前田利家像まつ像

 

さて、この「尾山神社」。到着して。まず驚かされますのは、その外観。
鳥居の中にある建物(神門)が、いわゆる日本建築ではありません。まるで、ヨーロッパ、いや南蛮と当時呼ばれたポルトガルなどで見かける建物を容易に想像いたしました。見方によりますと、中国的な要素も入っていて、ここが本当に日本の金沢なのかと錯覚いたします。

 

尾山神社 神門


ただ、その建物に飾られた家紋は、「剣梅鉢」。まぎれもなく、前田家の家紋です。
そして、境内に入りますと、金の兜。さらには、馬にまたがり槍を高々と掲げる「前田利家」の像。

 

梅鉢門利家兜

 

 

 

 

前田利家像


金の兜は、利家が身に着けていた具足の兜をかたどったもの。
馬にまたがる利家像は、『槍の又左』の異名をとった利家ならではの像。
当時、槍の名手で血気盛んであった利家は、常に三間半(6メートル30センチ)の槍を持っていたと言われます。
さらに、その背中に背負った袋のようなもの。これは母衣(ほろ)とよばれた武士の道具。
本来は敵の矢を防ぐ袋でありましたが、鉄砲が戦いの主な道具となってよりは、大将の使い番として、メッセンジャーの役割を果たしました。
大きな母衣をまとう事で、敵にも味方にも存在が見つけられやすく、たいへんに危険な役目であったと思います。

利家は、主君、織田信長の2つの母衣隊(黒・赤)の赤母衣隊を率いていたと言われます。
このエピソードだけでも、いかに勇猛な武将であったか想像がつきやすいのではないでしょうか?!

さて、江戸幕府開府以降は、名だたる外様大名が徳川家を守るために、幕府よりお取りつぶしを受けていきます。たとえば、関ヶ原西軍の大将であった後、裏切り東軍を勝利に導いた「木小早川秀秋」。熊本城を築城した「加藤清正」。賤ヶ岳七本槍の一人、「福島正則」。
さらには、徳川家の身内であるはずの親藩も「徳川忠輝」など、その数は江戸開府から大阪城落城までの15年ほどの間に40家にものぼったのです。

仙台藩「伊達家」60万石、薩摩藩「島津家」70万石。こうした藩もさることながら、加賀前田家100万石は、まさに、徳川幕府にとりましては、目の上のたんこぶであったに違いありません!!

藩祖「前田利家」も太閤秀吉が無くなってのち、ほどなくして世を去ります。
そんな前田家は、幕府は改易したくてたまらない相手でありました。

そんな前田家が、いかに江戸時代250年間を生き抜いたか。その哲学は、前田家ひいては加賀藩に脈々と江戸時代を通じて続いておりました。
正解は、「文化」を発展させる事。武家として、藩の守りを固めるのではなく、文化に力を注ぐことで、幕府の目をそらし、さらには「文化」を通じて藩に富と人材をもたらす事。
まさに、戦国乱世で荒廃した京の都を、金沢の街で再現することにあったのです!!


加賀友禅、金箔、楽茶碗の脇釜であった大樋焼。さらには、京都に劣らぬ茶屋街が、そして食が、この金沢の地で大成する事となったのです。

そんな加賀藩の基礎を築いた「前田利家」。

今回は、尾山神社に詣でることで、その本髄の一端を覗くことができたように思います。

それでは、ぜひ皆様も、機会ありましたら、「金沢」をブラブラしてみてください!!



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