~ぶらぶら江戸散歩~vol.97『東京駅構内』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回、お邪魔しましたのは、『東京駅構内』。
そもそも、ここ数回のぶらぶら散歩をご覧くださいましたら、地方の番外編ばかり~。
ちょうど6月~7月と私どもが手掛けております戦国をテーマにしましたデータファイルの決定版『週刊ビジュアル戦国王』の営業にて全国各地を行脚しておりました。


『週刊ビジュアル戦国王』は、応仁の乱から大阪夏・冬の陣までの150年間を通じ、戦国乱世を懸命に生きた人たちすべてを「戦国王」として捉え、紹介するシリーズです。
登場いたします武将は500人、激闘の合戦は3000、城は100を予定しております!!
そのほかにも、家紋や花押、武具や刀、旗など戦国時代にちなんだ、ありとあらゆる事は紹介して参ります。最寄の書店でお求めいただけますので、ぜひ、ぜひ、ご興味のお有りの方は手に取って、まずはご覧くださいませ!!

おっと、すみません、『週刊ビジュアル戦国王』のPRになるところでした(笑)!!
全国各地にて多くの方に手に取って頂くべく、東奔西走しておりました、この1か月。
そのため、東京駅は毎週訪れるターミナル拠点でした。
特に「東海道」「東北」「北陸」新幹線は利用させて頂いておりました。
そんな折に見つけました場所が、今回のご紹介ポイント。「浜口首相遭難現場」です!!

 

  


場所は、まさに、新幹線の中央乗場のすぐ近く。
お弁当屋さんが並ぶ一角を横目に、新幹線の改札口に向かう数段の階段の下。ひっそりと立つ柱に、このプレートがあったのです!!
「浜口首相」とは、大正時代から昭和初期の動乱の時代、ライオン宰相の異名を持ち活躍した第27代首相、「浜口雄幸氏」のこと。

官僚出身の首相の中で、根回しや料亭での密談政治を嫌い、ブレない信念を貫いた浜口首相。名前にも逸話があります。本来は「幸雄」となるべき名前を、父親が役所に出生届を出す際に泥酔の上、さかさまに漢字を書いてしまったとの事。
生まれながらにして数奇な運命の浜口首相は、その最後もやはり数奇な運命をたどったのです。
プレートに書かれている内容をご紹介いたします。


昭和5年11月14日 午前8時58分、内閣総理大臣浜口雄幸は岡山県下の陸軍特別大演習参観のため、午前9時発の特急「つばめ」号の1等車に向ってプラットフォームを歩いていた。このとき、一発の銃声がおこり浜口首相は腹部をおさえてうずくまった。かけつけた医師の手によって応急処置が加えられ、東京帝国大学医学部附属病院で手術を受け、一時は快方に向かったが翌昭和6年8月26日死去した。犯人は、立憲民政党の浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱き、凶行におよんだものといわれている。

今は地下に置かれたプレートですが、この文章を読みました際に、実際の凶行はホームで行われたことを知りました!!調べましたところ、現在の10番線、東海道本線の8号車の付近が本来の現場との事でした。

東京駅では、19代首相原敬氏も丸の内側のコンコースで暗殺された歴史があります。
開業から102年を迎えた東京駅。まだまだ、歴史に深く刻まれた場所がありそうです!


それでは、ぜひ皆様も、機会ありましたら、「東京駅構内」をブラブラしてみてください!!

 


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