ぶらぶら江戸散歩vol.93『銀座と柳』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より400年。
東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた、私、中西聡。
八丁堀・日本橋中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回ご紹介いたしますのは、「銀座と柳」
中央区のシンボルの木が「柳」であります事は、皆さまもご存じと思います。

中央区の公式なお知らせによりますと、区制40周年を記念して、区のシンボルにふさわしい「区の木」・「区の花」を昭和61年5月15日から7月15日まで公募し、応募結果を参考に選定、昭和62年3月15日告示により制定されたそうです。

さて、種明かしをしてしまいましたが、区の木は「柳」。
では、花は何だと思われますか?!正解は、「つつじ」なのだそうです。
ちょっと、こちらは私も意外でした!!

それぞれの、応募数や順位(上位5位)も記されておりまして、
「区の木応募結果」は、

1 やなぎ913件
2いちょう29件
3さくら27件
4すずかけのき 24件
5かえで20件


「区の花応募結果」は、

1 さつき  217件
2つつじ104件
3ばら89件
4つばき66件
5さくら65件


だったそうです。
なるほど~!!と思いながら。本題の「柳」に戻りましょう。

銀座の柳、まずはその歴史に焦点を当ててみます。1874年(明治7年)に、日本で初めての街路樹が銀座通りに植えられます。まずは、松やかえでや、桜が植えられたそうです。しかしながら、江戸の町は水路が張り巡らされておりました。特に下町は海運が盛んでしたので、まさに水の都でもあったのです。

そのため、銀座も水位が高く、せっかく植えた松や桜は枯れてしまい、水に強い木をいう事で、柳が1877年(明治10年)に植えられたのが、銀座の柳の初めとなりました。
これを皮切りに、1884年(明治17年)にはほとんど、すべての銀座の街路樹は柳となり、まさに、銀座を象徴する木となったのでした。

その後、さまざまな歌の歌詞で、銀座の柳がうたわれるようになります。
代表的なものを2つほど、ご紹介いたしましょう。

昭和8年(1933年)に出来ました『東京音頭』。

♪ハァ 踊り踊るなら チョイト 東京音頭~ で始まるフレーズは皆さまも良く、耳にされると思います。その19番目の歌詞が、 ♪ハァ 花は上野よ チョイト 柳は銀座 ヨイヨイ なのです!!

昭和11年(1936年)にヒットしました『東京ラプソディー』。
♪ 花咲き花散る 宵も 銀座の柳の下で~ 

このように、柳が銀座の枕詞のようになっております。
前述のとおり、柳の特徴が、深く根を張りながら、地表にでた葉は、どんな風がふこうが、雨が降ろうが、真夏の太陽が降りつけようが、しなやかに受け流し、飄々としております。

激動の時代とともに、変化を遂げる銀座には、とっても合った木なのだな~と改めて、感じました。

さて講釈ばかりで、散歩をしておりませんね~。
ぜひ、オススメは、銀座西3丁目。ここには、何気なく見落としてしまう石碑が3つ並んで置かれております。

 

銀座の象徴
柳並木
社会を明るくする運動銀恋の碑


一つ目が、まさに「銀座の象徴 柳通り」の石碑。平成11年11月に西銀座通会によって設置されたものです。

そのお隣には、法務省 主唱『社会を明るくする運動 発祥の地 銀座』の石碑が。
「社会を明るくする運動」は、戦後の社会的混乱の時代、犯罪や非行のない明るい街を目指し、銀座の商店街が「銀座フェアー」として始めたのがきっかけだそうです。

さらに、そのお隣には、誰もが知る! ♪心の底まで しびれる様な~で始まる『銀恋の碑』
♪東京で一つ 銀座で一つ 若い二人が 始めて逢った 真実(ほんと)の恋の物語り

いや~、銀座と柳を紹介しておりましたら、色々な方向へ。これも、柳の葉のように、ひらひらと風に任せて揺れる、そんな回があっても良いのでは無いでしょうか!!
それでは皆さまも、機会がありましたら、ぶらぶら出かけてみてください。

 

 


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