~ぶらぶら江戸散歩~vol.25『日本橋室町~福徳神社~』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回は江戸に戻って参りました。
京都より東海道を逆戻り五十三次の出発点である日本橋へ。

今回はその日本橋でも古いのに新しい場所に「室町~福徳神社」にお邪魔して参りました。
女優の蒼井優さんが神社を訪ねると、お賽銭箱の前に神様が!っていうストーリー展開のCMでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この福徳神社が在ります日本橋室町。近年、コレド室町1、2、3号館として再開発が行われ日本橋の新たなシンボルとなっておりますエリアです。
コレド室町は、「日本橋」を高島屋を背にして三越をさらに越えて、メインストリートの中央通りをさらに進みますと到着いたします!
より詳細の場所をご説明しますと、コレド室町1号館と3号館はこの中央通りに面しておりまして、2号館は1号館の路地を奥に一本を入った江戸桜通り沿いにございます。

まずはこのコレド室町につきましてご紹介いたしましょう。
そもそも、このエリアの日本橋室町。三越がすぐ目の前にあるだけあって、江戸時代より商いの中心地として大いに栄えました。江戸時代の商売は、掛けでの売り買いが中心。それを今では当たり前の現金決済を導入して一躍商売のスタイルを変えた三越。キャッチコピーも当時では斬新な「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」。
「三越」の名前は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったものであります。
そのため、この室町一帯は三井系列の企業も多く、江戸時代から続く老舗が暖簾を守っております。コレド室町も三井ショッピングパークアーバン「COREDO室町」が正式名称。
全ての建物には、レストランと和雑貨を中心としたテナントが入り、ビルは新しくても日本橋らしい精神を感じます。
それぞれの建物にも特徴が有り、コレド室町2には映画館のTOHOシネマズ、室町3にはお茶室の橋楽亭が入っていて、伝統を残しつつも現代にあった商業施設の在り方を示しております。
私のオススメは、何と言ってもコレド室町1に入っている「だし場」。おダシで有名な老舗企業の「にんべん」が運営するスタンディングのバーです。バーと言いましても名前からもわかるように、カップに入ったダシを飲むお店。ダジャレとも思えるBarと場をモジッたネーミングですが、本格的なダシのうまさを存分に味わえるお店です。
120mlのレギュラーサイズは、かつお節/かつお節&昆布合わせダシともに税込100円とい言ったお手頃価格。
寒いこの時期、懐にも優しいお値段は嬉しい限りです。お店内のスタンディングテーブルには塩も置いてありまして、自分のお好みの味の濃さにも調整できます。
街歩きの途中、ダシの良い香りについつい誘われて入ってしまっても、その美味しさに大満足。日本橋ならではのカフェタイムならぬダシタイムを味わうのもいかがでしょうか。

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さてさて、コレド室町2を裏手に回ってみてください。
そこに平安時代、清和天皇の御世の貞観年間(859年~876年)に創建されたと言われます冒頭にも記しました「福徳神社」が鎮座しております。
江戸城を築城しました太田道灌も狩の帰路にたびたび立ち寄ったとも言われており、また徳川家康を始めとした将軍家よりも参詣した神社と伝えられております。



特に2代将軍徳川秀忠は、慶長19年(1614年)に正月に参拝に訪れた際に、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛した言葉が残っていると言われます。
その折に。椚(くぬぎ)の木からできた鳥居より若芽が出ていたことから、「芽吹神社」とも呼ばれ、今日でもその愛称で親しまれております。

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祭神は、古事記にも登場いたします「守迦之御魂神」(ウカノミタマノカミ)。一般にはお稲荷さんとして親しまれ、京都の伏見稲荷大社を総本山とする五穀豊穣と商売の神様です。
前述の通り、日本橋室町一帯は江戸時代、最大の商いの街。商売繁盛を願う商人たちより厚く崇敬をうけて参りました。
とは言え、「福徳神社」も順風満帆ではなく、幾度かの試練を乗り越えて参りました。
このぶらぶら江戸散歩では幾度となく説明しております明暦の大火(1657年)。江戸の大半を消失させたこの火事で、社も焼け落ちてしまいます。

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次は、天保の改革(1830年~1843年)。改革を推し進めた老中、水野忠邦は寺社の取り締まりをたいへん厳しく行いました。それにより、「福徳神社」も一度は姿を消すこととなります。
後に氏子たちの願書の甲斐あって再建されますが、社は関東大震災そして第2次世界大戦の折に度々消失。近年までは、小さな祠がひっそりとあるだけでした。
三井不動産により2014年10月にこの堂々とした社殿が完成し、再建されたのです。

そしてさらに2016年には神社の隣接地に「福徳の森」を整備する計画との事。伝統の姿を今にとどめる日本橋ならではの試みと思い、その完成の姿を想像するだけでワクワクいたします。

江戸時代、神社のあった通りは「浮世小路」と呼ばれた、たいへんな繁華街だったそうです。今もその路には夕方になると明かりが灯り、ライトアップされた町並みは応時の雰囲気を楽しむことができます。
それではぜひ、皆さんも、コレド室町でショッピングをしながら福徳神社をお参りして日本橋室町をブラブラ散歩してみてください。


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