神戸連続児童殺傷事件またの名を酒鬼薔薇事件。
私には当時の記憶はありませんが、度々報道されてきたため今日に至るまで鮮明に覚えています。
少年法が一部改正されるほど大きな事件でした。
その加害者、元少年Aが先日手記を出版しましたね。
遺族が取りやめを求めていたにも関わらずです。
嫌な予感は的中し、Amasonランキングでは堂々の1位になりました。
まぁこれは出版社の狙い通りですね。
だからこそ出版社は取りやめなかったのでしょう。
太田出版は金の亡者です、それとも表現の権利を謳う「自称」良識派でしょうか。
…冗談ではありません。
以下、彼の本を購入するつもりは毛頭ありませんので、メディアに抜粋された文章からブログを書かせて頂きます。
彼は「罪を償いながら懸命に生活してきた」ようです。
しかし、「苦しい」ので「自己救済のため」に書いたそうです。
もう始めから終わりまで自分の事しか書いていない、最悪です。
これを出版された遺族の気持ちをこの元少年も出版社も考えないのでしょうか。
まぁ考えていないでしょうこの元少年は「自己救済」と書いてしまっているのだから。
遺族へは一応罪を犯したことへの謝罪も兼ねて書いていますが、一番言いたいのは自分が出版することを許して的な意図が大きいように感じます。
そのための定型句みたいなものでしょう。
だから尚更許せません。
一昨日の報道によると印税は遺族への賠償に充てるそうです。
でもおかしいですよね、「自分の子供を殺害したことを題材にした本」で「稼がれたお金」を「渡される」というのは。
いや、おかしいではなく、異常の域に達しています。
それに本当に「全て」充てられるんですかね、到底信じられません。
しかもこの元少年、本の内容を見るにまともな生活を送れていないようですね。
当然といえば当然でしょうが、これで少年法は役立っていると言えるでしょうか。
少年法の目的は未成年の「将来性を鑑みて、健全な育成、更生させる機会を与える」ことのはずですが、とんだ「将来性」と「更生」です。
印税を遺族の賠償に充てる件もそうですが何も成果が現れていません。
将来ある子供2名を殺害した上に社会の役にも立っていない人間を生かしておく意味はあったのでしょうか。
やはり、少年法も限度があると思うんです。
これだけの犯罪を犯したら未成年でも更生は無意味に等しいんです。
今回の事件は「行き過ぎた少年法の末路」の現れとも言えるのではないでしょうか。
年齢で区別したところで十数年もそのまま育ってしまっていたら人格や精神は簡単には変えられません。
そしてこの出版は「表現の自由」なのでしょうか。
当然表現の自由にも限度はあります。
いくら罰則期間を過ぎたとは言え、「加害者」であることは変わりません。
表現の自由も他者、この場合は遺族への配慮が絶対です。
その遺族に全く事前連絡もなしとは…彼らの常識を疑います。
少なくともこの件で出版社や元少年Aを擁護する声は少ないでしょう。
出版社や本の出版を許容している人間は表現の自由と権利を語るのならこの元少年Aを「実名」で出版させるべきです。
もう「元」少年で現在32歳、立派な成人なんですから。
実名でも何の問題もありません。
それとも「プライバシーの保護」でしょうか、百歩譲って普段は守られるべきだとして、プライバシー保護の原因である自身の犯罪について本にしようというのに保護する必要はあるのでしょうか。
元少年Aも「これを書かなければ生きている意味はない」、「自己救済」というのならその覚悟をもって「実名」で出版するべきです。
結局は生活が苦しいのか、生きるのがつらいのかは分かりませんが自分かわいさで書いただけでしょう、文面でも「自分のこと」ばかりですし。
自分はそれだけのことをしたのだという自覚のなさを自ら証明しているようなものです。