日本出張や来客が重なり、今年の前半は忙しかった。
今年になって、3月19日~4月2日、5月14日~5月25日、6月14日~6月26日、3回訪日、その上、7月には9日~24日まで訪日を予定している。
すでに終了している3回の訪日は、日本の春から初夏への爽やかな気候を期待したのだが・・・
なぜか、その3回とも私は汗だくだった。
地球温暖化の影響だろうか? 私には日本に季節感が感じられなくなっているのだ。
27年間シドニーに住んでこんなに忙しい年は無かった。
そんな中、嬉しい来客があった。
一人目は山田章仁(アキ)
アキはパナソニックやジャパンで活躍しているが、出逢いは彼が慶大3年生の時だ。
ラグビー留学生としてシドニーを訪れ、互いの知人の依頼で私はその全ての世話を任された。
その当時、息子達がプレーしていた創設100年以上の歴史を誇る「イースタンサバーブズ・クラブ」(コルツ/20歳以下)でプレーし、彼は瞬く間にクラブの人気者となった。
私の長男と同い歳、到着直後に、アキは息子達にとって気の合う兄弟のよう存在となった。
毎年、南半球のラグビーシーズン幕開けに開催されるスーパー15、その ”ウェスタン・フォース” にスコッド入りし、その多忙なスケジュールの合間を縫って西オーストラリアのパースから東海岸のシドニーまでわざわざ会いに来るほど仲がいい。
新鮮な刺身が食べれる人気の居酒屋で歓迎の夕食を用意したが、パースに長期滞在しているアキは、刺身の盛合せや一品料理が出てくる前に、まずご飯と納豆を御代りした。
私にとっては、久しぶりに実家に戻った息子3人と一緒に過ごすようで、実に愉快な晩だった。
二人目は津田翔太
東海大仰星高>東海大>リコーで活躍、彼とは彼が東海大3年の時に豪州遠征で出逢った。
新婚旅行でメルボルンを訪れ、2泊だけシドニーに立ち寄ると連絡をくれた。
翌日の早朝、私は出張のために日本に向けてシドニーを出発しなければならず、束の間の時間だけだったが、実に嬉しい再会だった。
メルボルンから国内線でシドニーに到着、彼は幸せそうに可愛い奥さんを私に紹介した。
幸せのお裾分けをもらい、話す内に彼女は私の知人の奥さんと同じ職場で働いていると言う。
何か縁を感じながら、空港から直接向かった場所は、ランドウィック・クラブのレイサム・パークであり、息子達が幼い頃、よく通ったグラウンドだ。
「実は後輩の試合があるんです。どうしても、彼の応援をしたいのですが・・・」
母校東海大ラグビー部のアシスタントコーチを担う彼は、後輩の留学を激励したかったようだ。
新婚旅行にも関わらず、奥さんは彼の希望をしっかり受けとめ、その笑顔が印象的だった。
そして、三人目は井波健太郎。
この春、東海大を卒業し、自身の可能性に挑戦するため単身シドニーに留学を決めた。
昨年3月、東海大ラグビー部の豪州遠征で出逢い、私は彼がシドニーを訪れていたのを知っていたが、忙しさのために、中々激励に出掛けることが出来なかった。
東海大の先輩津田翔太のたっての希望から、私も彼を激励する機会を得ることになった。
彼のチーム・マネージャーは、なんと私の古い友人 ”ケビン・フィブズ” だった。
彼は私にとってランドウィック・クラブで最も古くから知る友人で、元ワラビーズ ”オーウェン・フィネガン” や "ウォーウィック・ウォー" の義父なのだ。
二人の娘をワラビーズに嫁がせていた彼に会うのは久しぶりだった。
「ヘイ Toshi!お前がまだラグビーに関わっているのを知って俺は嬉しいぜ!」
新婚の津田夫婦と共に、井波健太郎の試合を応援した。
結果的にシドニー大学に敗れてしまったが、井波はトライにも絡み、そのプレーはアタック/ディフェンス共にMVPと言える大活躍だった。
試合のあったレイサム・パークはランドウィック・クラブのサブグラウンドで、1軍の試合はクージービーチの真ん前に在る伝統のクージー・オバールで行われる。
かつて、あのオーストラリア・ラグビー界の至宝デビッド・キャンピージーや歴代のワラビーズがプレーしたグラウンドである。
井波健太郎がそのクージー・オバールに立つ日が近いのを確信し、私達はグラウンドを離れた。
息子達と同世代の若者達が、私を訪ねてくれることは本当に嬉しいことだ。
そして、彼らを我が子のように純粋に応援し、彼らの将来を楽しみにできることは、私にとってこの上無い喜びなのだ。