あの人に会いたい! | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

マンションの一室で、初老の男性が孤独死

"孤独死" とは、誰にも看取られること無く、当人の住居などで突発的な疾病のため亡くなることを指すそうだが、近年、日本中のいたる所で起こりうる社会問題になっている。

 

実際、私の知人にも2人いる。

一人は高校/大学のラグビー部の先輩で、兄の親友であり、私にラグビーを勧めてくれた人だ。

あの人がいなければ私は別の人生を歩んでいたに違いない。

身近な人だったので、今も信じられない。

 

もう一人は訪日の度にお会いするのが楽しみだった馬場さんである。

近くに住む馬場さんの姉が、連絡が取れないことを不審に思い、部屋を訪ねて発見したそうだが、事件性は無かったようで、孤独死として処理されたと連絡をもらった。

 

有楽町駅から歩いて3分、銀座マリオンの14階にある「朝日新聞談話室」。

かつて朝日新聞本社があった場所だが、いつもその場所が馬場さんとの待合せの場だった。

馬場さんが朝日新聞社の現役社員だった頃からOBになるまで、何度もそこで待合せをした。

OBになってからは、いつも新聞社時代の元上司桐谷さんが馬場さんに連れ添っていた。

共にラグビーを愛し、観戦のために何度もシドニーを訪れたが、必ず二人は一緒だった。

 

名コンビだった二人、私は桐谷さんからこんな話を聴いた。

「馬場って奴は、絶対に人を裏切らねぇんだよ新聞社にはいろんな奴がいて、裏で俺のことをゴチャゴチャ言う奴が居た時代、馬場だけはいつも俺の立場を分かってくれていた

 

訪日中、ある集まりで私がトラブル(口論)に巻込まれたことがあった。

私は自分が正しいと信じ正論を通したが、相手は先輩であり、立場上私が不利な状況だった。

その最中に、馬場さんが「そりゃ、ヒデーよあんたが間違っているよ」と二人の間に割って入り、私を庇(かば)ってくれたことがあった。

日本では、自分の立場を考慮して矢面に立とうとせず、何も言わない人が多い。

その上、年齢や力関係で人を比べ、強くて自分に有利になる方に忖度する人が圧倒的に多い。

馬場さんはいつも客観的な見地から人前でハッキリ言葉を発する人だった。

馬場さんは独身を貫いた人だったが、女性を愛することに関してはシャイな人だった。

川越のボンボンとして生まれ、朝日新聞社に勤務しながら独身貴族を謳歌しているようにも見えたが、彼の心優しい性格が裏目に出たのか、良縁には結びつかなかったようだ。

 

そんな馬場さんを見ていると、"川越の荒川" を "葛飾の江戸川" に置き換えれば、まるで「男はつらいよ」の "寅さん" を地で行くような人だった。

妹サクラが兄の寅さんを思い慕うように、私は馬場さんの弟のような気持ちで、馬場さんの失恋(寅さんのような片思い)に何度か寄り添ったことがあった。

 

かつて川越を訪ねた時に、馬場さんは川越の古い街並みを案内してくれた。

川越のシンボル "時の鐘" やその界隈にある各界の要人ご用達の鰻屋や料亭にも連れて行ってくれたが、私が忘れられないのは、古いたたずまいの "ソース煎餅" を売る店だった。

馬場さんはあの店の常連で、年老いたおばあちゃんとの会話が馬場さんによく似合っていた。

あの何とも言えない香ばしい香りと味が忘れられないが、今となっては、その店が何という店で川越のどのあたりあったのかも分からなくなってしまった。

07年ラグビーワールドカップ・フランス大会に、馬場さんと一緒に出掛けた。

私は成田経由でパリに向ったが、馬場さんとは成田のホテルの前泊から盛上り、フライトはパリまで隣同士、馬場さんは、CAを呼びつけては「ウイスキー、ダブルでおかわり」を繰り返し、パリ到着までに一人で大方オールドパー1本を呑んでしまった。 

「お客様、酔っていますとパリ空港で入国を拒否されることもありますので」

CAから警告される始末だったが、馬場さんはそんなことはお構いなしだった。

騒ぐでも無く、誰かに迷惑を掛けるでもなく、会話を肴(さかな)に終始ご満悦だった。

モンマルトルにある「ムーランルージュ」(由緒あるキャバレーでラインダンスが有名)を訪れ、飲み放題のワインで泥酔、大声で歓声を上げ、セキュリティーの大男に注意された。

もちろん、悪気は無く、馬場さんなりの感動の表現だったのだ。

日程の空いた日に訪ねたオランダのアムステルダムでは、私と二人で散策中、運河の橋から流れに向けて "立ちション" をしようとして、私は慌ててそれを止めた。

ちょっと我慢を強いて、近くにあった豪華な門構えの中華料理店のトイレを借りてしのいだ。

観戦ツアーの旅費を賄えるほどカジノで大勝し、トイレを借りた時に親切だったと言って、その中華料理屋にツアー仲間全員(8名)を招いて、豪華な料理で大宴会を開いた。

 

2000年シドニーオリンピック、2003年ラグビーワールドカップを含め、10数回、馬場さんをシドニーで迎え、その度に私は一緒の時間を楽しんだ。

どこに連れて行っても、馬場さんは率直に感動し、案内役の私を喜ばせた。

馬場さんの威張らない破天荒さと時折見せるさりげない気遣いは、私にとって憧れだった。

決して人を疑おうとはせず、疑う前にキッパリ物言う馬場さんの性格が好きだった。

馬場さんのような人がどんどん日本からは減っているような気がしてならない。

今、私は無性に馬場さんに会いたい