昨晩、留学生がシドニーを出発し日本に帰国した。
寂しく感じるが、この経験を糧にして素晴らしい未来を築いてもらいたいものだ。
小能壮一 25歳。
語学の体得と高いレベルのラグビーに挑戦することを目的に2年間シドニーに滞在した。
"学生ビザ" でシドニーを訪れ、2年目は "ワーキングホリデービザ" に変更した。
1900年にシドニー東部に設立された名門イースタン・サバーブズ・クラブでプレーをエンジョイし、多くを学び、多くの仲間に愛され、仲間との再会を約束して旅立った。
帰国前、先々週の土曜日に電話があった。
「試合、負けました! 今日でシーズンが終わりました」
プレイオフ(リーグ戦の上位チームによる決勝トーナメント)まで進出し、シーズン終了間際まで頑張ったが、その敗戦が彼の留学中のラグビー終了を意味し、言葉少なで声は沈んでいた。
今シーズンは怪我に泣かされ、メンバーに復帰できない状況が続き、その焦りや悔しさで辛い日々を送ったと思うが、それを跳ねのけて復帰を果たし、ラグビーも心も成長したはずだ。
電話でなければ、彼は泣き出してしまったに違いない。
留学の成功か否かは、「表面に表れた結果」だけでは判断できない。
湯水のような親からの仕送りで、絵に描いたような一見恵まれた生活を送る留学生もいれば、わざわざシドニーまで来て、アルバイト三昧の日々を送る留学生もいる。
人気の日本語情報誌「チアーズ」の今月号に、「ワーキングホリデーその先にあるもの」と題して "学生ビザやWHでオーストラリアを訪れた若者のその後" が特集されている。
副題は「成功者に学べ!」である。
起業して成功している者、デザイナーやパティシエなど自分の才能を開花させた者・・・
その成功の内容は様々だが、共通しているのは、それぞれがちょっとしたチャンスを馬鹿にせずに、"ものにしている" ことだ。
私がサポートする留学生のほとんどはラグビー関係の留学生だが、留学後に日本に帰国し日本代表として活躍する留学生もおり、目的という観点からすれば彼らも成功者に含まれるだろう。
昨晩シドニーを発った留学生は、間違いなく成功者の一人と私は信じる。
スポーツの留学には、どうしても怪我のリスクが付きまとう。
留学期間は限られているため、復帰を焦る気持ちが募れば、必ず精神的な重圧との闘い至る。
結果、何をやっても中途半端となり、留学が成功とは程遠いものとなってしまうことが多い。
2年目の今シーズン、彼はコーチや仲間の信頼を得て、シーズン開始を心待ちにしていた。
しかし、公式戦が始まる直前に足を骨折、スポ根ドラマではないが、その悔しさから一人泣き明かした夜もあったに違いない。
そう、落胆と復帰までの精神的な闘いの中で彼はもがき苦しんだことだろう。
私は全てを彼自身の判断に委(ゆだ)ねることに決めていた。
足の骨折であり、その回復からチームに復帰するまでにはそれなりの時間が掛かる。
25歳と言えば、日本に戻り将来の準備をする選択肢も彼にはあるはずと私は考えていた。
しかし、彼は復帰に向けて努力を尽くし、シーズン最後の試合まで残ることを自ら選択した。
骨折から回復し、歩けるようになった頃、彼はある相談を私に持ち掛けてきた。
「最優先に練習や試合に復帰できるよう頑張りますが、アルバイトをして、少しでも両親への負担を少なくしたいと思っているんですが・・・」
怪我と闘いながら "何かをしなければ!" と彼自身が悩み、辿り着いた決断だったのだろう。
「一体、何のための留学なんだ !?」
彼は私にそんな風に頭ごなしに叱られると思っていたのかもしれない。
遠慮がちに話す彼の言葉に多少の違和感を感じながらも、留学生にありがちな酒や異性への浪費のために彼がアルバイトをしたいと言っているのではないことは理解できた。
彼がそういうタイプの青年ではないことはそれまでの振舞いで分かっていた。
私は "今時の若者は・・・" と括らず "今時の若者も捨てたものじゃない" と考えたい。
彼には最初から人を思いやる心が感じられた。
その証拠にホームステイの老夫婦は、彼を本当の息子のように可愛がる。
ただ、そんな心を上手に態度で表現するのは下手なようだ。
それでも、ボソボソと喋る言葉には、両親はもちろん、私への感謝の気持ちさえ感じるのだ。
私の息子達と同じボンダイジャンクションに住み、まるで本当の兄弟のようにしていたが、同年代の息子達に対する言葉にも彼の言葉には尊敬の念が感じられた。
反面、正直私は「もっと自己主張をしなさい!」と言いたかった。
彼には内に秘めたポテンシャルは旺盛だが、「どうしてもこれがしたいんだ!」「 これだけは外せないんだ!」 という迫力のようなものをこの留学で身に着けて欲しかった。
海外で成功するには、そういう姿勢が最も大切な要素なのだ。
そんな私の思うところに彼は気付いていたのかもしてない。
彼は言葉や見せ掛けの態度ではなく、彼らしい自己主張で私を驚かせ(喜ばせ)てくれた。
たまにしか会えなかったが、彼に会うたびに彼の上半身が大きくなっているのを感じた。
走れない分、彼は必死でジムに通い、マニアックと言えるほどのセッションを繰返したようだ。
たまに息子から電話があると、息子は嬉しそうに彼のことを話題にする。
「今日もまた壮一にジムで会ったよ。胸や腕がもの凄くデカクなってるよ!」
ケガからの復帰や体力の増進への努力だけでなく、彼は息子達の仲間との付き合いにも積極的に参加しているようで、英語の世界に自ら飛び込もうとしていたようだ。
オーストラリアで育った息子達は、自分の仲間達とは英語オンリーで会話するし、「Yes or No」の世界に育ち、仲間に入るのを嫌がる者を無理やり誘うようなことは絶対にない。
その成果が彼の会話に感じられた。
彼の英語に対する壁が感じられなくなっているのだ。
私は、留学生にアルバイトを紹介するのを極力避けてきたが、彼には、私にとって、"取って置き" のアルバイト先を紹介することにした。
もちろん、先方に断られれば是非も無かったが、見習い期間を経て、彼は正式に採用された。
その上、ラグビークラブのトレーニングや試合を優先したシフトを組んでもらうことも出来た。
OZに人気のジャパニーズ・レストランのウエイターの仕事だが、客はほぼ90%がオージー。
ふと気が付くとニコール・キッドマンがワインを楽しみながら刺身をつまんでいるような店であり、客層は抜群で、それなりの会話が出来なければ戦力にはなれないのだ。
「この間、アシュリ―・クーパーが彼女と飲みに来たんです。話し掛けてみたのですが、とても気さくに話してくれ、感動しました!」
現役ワラビーズであり人気のスター選手と話したことを、彼は興奮しながら私に伝えてきた。
私に言わせれば、語学学校より、それこそが "生きた語学の勉強" なのだ。
世界中が注目する現役ワラビーズに、彼自身もラグビーをプレーしていることを堂々と伝え、同じラグビープレーヤーとして会話が出来たという彼の上気した声を聞けたのは、彼以上に、私にとってこの上ない喜びだった。
プレーヤーとして、彼にとっては心残りだった2013年シーズン・・・
彼がそれをどう思い、どうリアクションするのか、私には分からない。
もし、彼が再度チャレンジするのであれば、オーストラリア人である同世代の息子達の協力も交え、彼の3年目の挑戦をサポートしたいものである。