私はトゥイッケナムの "スタジアムツアー" に加わった。
ミーハーと言われようが、自分の興味に率直になれば、それが一番手っ取り早いのだ。
ガイド付きで、ピッチの芝生に立つこともでき、スタジアム内を隅から隅まで案内してくれる。
もちろん、ロッカールームやバスルームの中まで、余すところなく見せてくれた。
我らがワラビーズが優勝を果たした91年W杯、決勝戦の後にバスルームでビールを飲みながら優勝の喜びを味わっているワラビーズメンバーの画像が世界中に配信された。
ガイドが「このバスルームを91年の優勝チーム "ワラビーズ" が有名にした」と説明した。
私にはこのシーンに確かな記憶があり、「フッカーのフィル・カーンズとライナーでしたね」と言うと、ガイドは嬉しように「よく覚えていたね」と親指を立てて笑った。
そこからガイドと仲良くなった。
オーストラリアならシャワーが一般的だが、トゥッケナムは昔の伝統を守っているのだろう。
ロッカールームは極めて一般的な造りだったが、試合前にはコーチや選手の名前を刻んだプレートが、それぞれのスペースの壁に打ち付けられるという。
その中に、私は元イングランドキャプテン "マーティン・ジョンソン" の名前を見つけた。
私が訪問した09年、彼はイグランド代表監督に就任したばかりだった。
フランスとのテストマッチ(国際試合)を前に、壁にはプレートが打ち付けられ、私はそのプレートを眺めながら、03年にシドニーのオリンピック・スタジアムで開催された第5回ラグビーW杯の決勝戦で、ワラビーズ(オーストラリア代表)を破ったイングランドのいかつい顔のキャプテンがエリスカップを高々と突き上げたシーンを思い浮かべていた。
そのキャプテンこそが、マーティン・ジョンソンだった。
私はそのシーンをシドニーのオリンピック・スタジアムで目の当りにした。
エリスカップが初めて赤道を渡る歴史的瞬間だった。
トゥイッケナムで驚くのは、至る所に選手の名前が刻まれていることだ。
スタジアムの正門近くには、イングランド代表に選ばれた全選手の名前が刻まれたプレートが整然と地面に敷き詰められている。
出場回数によって、そのプレートの大きさが異なるようだ。
Jウイルキンソン、Jガスコット、Wカーリング、R&Tアンダーウッド兄弟・・・
懐かしい名前を見つける度に、彼らの勇姿や胸のすくようなシーンが浮かんできた。
本来主役であるべき選手の誇りや名誉を守ってきたイングランド・ラグビーの真髄や歴史を垣間見るようだったが、それこそが伝統の重さなのかもしれない。
更にスタジアムの歴史を紐解いていけば、きっと感動的なストーリーが無数にあるはずだ。
実際にスタジアムを訪れて感じたが、いつかそのような歴史を辿りたいものだ。
ガイドの話に耳を傾けながら、その興味深いエピソードの一つ一つがイングランド・ラグビー、延いては世界のラグビーの歴史そのものだと思えた。
1939年に遠征したワラビーズが、第二次世界大戦の勃発に遭遇し、一試合も出来ずにこのトゥイッケナムを後にしたのを、私のつたない英語で説明したが、ガイドや一緒にツアーに参加した他の客も興味深そうに私の話に耳を傾けてくれた。
とにかく、ガイドのジョンの博学さには驚くばかりだった。
彼のガイドとしてのプロ意識には感動させられるばかりで、私が説明した時にも、1930年代後半のイングランド代表の写真の前で、私の説明を折らずに上手に補足説明を加えてくれた。
1938年に組まれたブリティッシュ・チーム(今でいうライオンズ)が、翌年(1939年)遠征に訪れたオーストラリア代表と試合をするはずだったと説明があった。
その試合を含む全試合が第二次世界大戦勃発でキャンセルされてしまったのだ。
ジョンの補足説明を聞きながら、私は涙が出そうだった。
私はシドニーに住む日本人である事を告げ、ジョンに名刺を渡した。
同時に、私はオーストラリアのコーチ資格を証明する "マイ・ラグビー・カード" を見せ、オーストラリアの正式なコーチ資格を持ち、今もコーチングを学んでいることも告げた。
学びの多かったツアーは解散となり、ジョンは「少し待っていてくれ」と私に告げた。
戻って来たジョンは、「つい先日、コーチングのセミナーで使ったレジュメなんだ」と言って、分厚いイングランドのコーチング・レジュメを私にくれた。
「コーチングの質問なら、いつでも連絡を待ってるよ」
ジョンは私に名刺をくれたが、彼の紳士的な姿勢や対応は驚くほど感動的だった。
きっとジョンもかつては素晴らしい選手であり、コーチだったに違いない。
ラグビーの聖地を訪れ、期待もしていなかったジョンのような紳士に出会い、また私は素晴らしいラグビーの世界へと入り込んでしまったのを実感しながら、トゥイッケナムを後にした。
私はどこかの駅で降りればいいやと思い、何も見ずに停車していたバスの乗った。
時間は有り余っていたし、日本やオーストラリアを考えれば、間違いなくきっとどこか列車の駅を通過するはずだと気楽に構えていたのだ。
私の旅はいつもそんな感じなのだ。
バスが信号で停まり、外を眺めれば、そこには190年前にサッカーの試合中にボールを持って走った究極のイエローカード・ボーイ(レッド・カードかも)、"ウイリアム・ウェブ・エリス" の名前の付いた立派な建物があった。
結局、バスが走り出し、降りることは出来なかったが・・・
博物館なのか?レストランなのか?パブなのか? 入口の上には WETHERSPOON と書かれているが、どうもロンドンにあるパブのチェーン店のようだった。
次回、ロンドンを訪ねる機会があったら、必ず行ってみよう !!
知らない路線バスに乗ったお蔭で、また出掛ける理由を見つけてしまった。
バスの乗り方も最寄りの駅も何も知らずに私はトゥイッケナム・ラグビー場を訪ねたのだ。