通常のツアーなら、空港到着後にはバスで市内観光に向かう。
ただ、その場合、フライトの疲れと安心感などから、眠ってしまう若者が多い。
人の出入りのある列車、益してや誰もが初めて乗車する海外の列車、見るもの全てが珍しく、途中には一部地上を走る区間もあり、多少の観光気分も味わえるはず・・・
それが私の狙いだった。
もちろん料金はチャーターバスとは比べ物にならないほど安価である。
全てが特別料金となるこの時期、いかにして経費節減をするか工夫しなければならなかった。
シドニーのシンボルと言えば、オペラハウスと世界最大級のアーチ型橋ハーバーブリッジだ。
1800年代後半にイギリス船団が上陸したポートジャクソン、世界中の豪華客船が停泊する埠頭を歩き、昔の倉庫街に迷い込んでしまったような煉瓦造りの建物が並ぶロックス界隈を散策。
すれ違う人に笑顔で「メリー・クリスマス」と声を掛ける選手達、アイスクリーム・カーからカラフルなアイスクリームを買って喜ぶ選手達、選手達の元気そうな姿を見てホッとする先生方を見て、私も胸を撫で下ろすような気持ちだった。
彼らはアッと言う間にオージーの仲間入りをした。
私は彼らを連れてハーバーブリッジを歩いて渡り、そのまま歩いてホテルに向かった。
効率性だけを重視する日本の団体旅行で、この橋を歩いて渡るグループは絶対に無い。
「シドニー ハーバーブリッジ クライム」がオーストラリアのツーリズム界で大ヒットしたのは有名だが、バスなら1分間で通り過ぎる全長1149mのハーバーブリッジをゆっくり歩いた。
彼らの目に映ったシドニーハーバーの光景はどれほど美しかったことだろう?
そして、1923年に着工、1932年に完成したこの橋の歴史も感じてもらえたことだろう。
ホテルは2000年シドニー・オリンピック、マラソンのスタート地点から近く、ノースシドニー駅から歩ける距離のホテルを予約した。
私の作戦は、列車と徒歩による節約が目的だったが、快晴にも恵まれ、私が考えた以上に喜んでもらえたことは、双方にとって最高だった。
遠征を請け負う場合、私の最優先は全員の安全と体調管理である。
その意味からフライトの疲れを取るために必ずリカバリー(回復運動)を欠かさない。
彼らの場合、ある程度の距離を歩いたことでリカバリーは十分だった。
それでも、チェックインを終えてから、私は全員をホテルから徒歩3分の公園に連れ出した。
古い歴史のあるノースシドニー・ラグビー場の周りには芝生の公園が広がっている。
選手達にラグビーボールを1個与えただけで、私はそれ以上何もする必要は無かった。
彼らが無我夢中で走り回っている間に、私はスタッフと共にBBQの用意に取り掛かった。
空港から全員の荷物を運んだ車に、バーベキュー用具や食材も積んでいたのだ。
私の作戦第2弾は、クリスマスデーに野外でバーベキューをすることだったが、それは正にオージーの生活や文化体験そのものなのである。
もし、この遠征が無ければ、私は家族や仲間達とバーベキューを楽しんでいたはずだ。
彼らにとっては、オーストラリアで初めて食べる夕食、それもクリスマスデーの夕食なのだ。
この公園には、ちょうど全員が座れるおあつらえ向きの野外パーティー設備(椅子やテーブル)があり、そこを占領してしてディナーが始まった。
こんな時、クリスマスデーが逆に功を奏し、公園全体がまるで貸切だった。
一般の家庭は、家族揃って自宅でBBQを楽しんでいるのだ。
厚切りのフィレ・ステーキ、ビーフ・ソーセージ、ちょっとスパイシーなイタリアン・ソーセージ、大き目の車海老にはガーリックをまぶし、それとクリスマスのため、チキンも用意した。
そして、締めには太麺のソース焼きそばも用意した。
ラグビーボーイズ&ガールズの食欲を満たすために、とにかく大量に用意したが、結局残りを私やスタッフが家に持ち帰るほどだった。
サマータイムのため、シドニーの夜は8時頃まで明るい。
こうして、シドニー1日目が終了した。
翌日(ボクシングデー)も、ゆっくり時間を掛けてシドニーの中心街を歩いて散策。
オペラハウス、ボタニックガーデン(王立植物園)、マッコーリーズ・ポイント・・・
ボタニックガーデンは大都会シドニーのオアシス的存在だが、日本の観光客を滅多に見ない。
シドニーは名古屋と姉妹都市で、一角に名古屋庭園が造られ、日本的な雰囲気が溢れている。
マッコーリーズ・ポイントは、日本人のツアーが必ず写真撮影のためだけに立ち寄るオペラハウスやハーバーブリッジを一望できる最高のピクチャースポットである。
歩きながら、その名前の由来や歴史的背景を丁寧に説明したが、「ミセス・マッコーリーズ・チェアー」では、時間に追われることなく、一人一人がマッコーリー夫人になったつもりで、その「岩を削った椅子」に座わり、記念撮影を楽しんだ。
イギリスから派遣された初代マッコーリー提督の夫人がホームシックを癒した場所と言われ、夫マッコーリー提督の意志で岩を削って椅子が造られたという伝説が残っている。
マッコーリー提督は岩をも削る ”オージーハズバンド” の典型と言われ、特に女性はここで写真を撮ると幸せになると言われている。
オペラハウスやハーバーブリッジ、そしてこのミセス・マッコーリーズ・チェアーからヨットハーバーを挟んで反対側には、オーストラリア海軍の基地を眺めることができる。
かつて太平洋戦争時代に日本軍の特殊潜航艇(人間魚雷)3隻がシドニー湾に侵攻した。
この基地に停泊していたクッタバルという戦艦を魚雷で撃沈、21名の命を奪った。
それは、日本が本気で攻めてくると、シドニー市民を戦争の恐怖に陥れた事件だった。
3隻とも沈没し、引き上げられた船内では日本の若い兵士達が自決していた。
時の海軍司令官グールド提督は「こんな小さな塊で敵地まで進撃した若い兵士達の勇気は、国境では隔てられない」と言い放ち、日本の兵士達に敬意を表し、オーストラリア海軍葬を執り行い、遺骨と遺品を日本に送り届けたそうだ。
その後、基地の中に日本兵士の鎮魂を願い、慰霊碑が建立され、今も大切に残されている。
この基地は、沈んだ戦艦の名を取って今もクッタバル基地と呼ばれている。
歩きながら、そんな歴史を説明をしたが・・・
オーストラリア海軍基地の通り沿いに、オーストラリアで一軒だけの常設の屋台がある。
州政府が何度も立ち退きを命じたが、シドニーッ子の猛反対でこの一軒だけが許されている。
この店は、オージーが大好きなミートパイが有名で、世界のセレブも数多く立ち寄る名店だが、天宮監督が率先して、「じゃあ、食べてみようぜ!」と叫んだ。
普通の観光なら見落としてしまうような場所、また外観だけを見て通り過ぎてしまう場所、ワイワイ、ガヤガヤ、生徒達は目の前の軍艦を観ながらミートパイを頬張った。
彼らはどんな説明にも敏感に反応した。
天宮監督や引率教員もそのフォローを忘れない。
名門でも強豪でもないラグビー部だが、本当に素敵な選手達でありラグビー部なのだ。
昼食は私の知人のレストランの特別メニューでおなかいっぱいになったはずだ。
「折角ラグビーの遠征で来ているんだから」
天宮監督の要望から、夕方はラグビー場でしっかりトレーニングを行い、私も久し振りにオーストラリア流のコーチングでサポートした。
この晩も、夕食は公園の野外パーティー設備で日本料理のバイキングにした。
知人の日本食レストランがパーティー用の盛合わせを特別にこしらえてくれた。
質量共、これだけ豪華な日本料理をレストランで食べれば、予算的に凄いことになってしまう。
紙皿と紙コップだったが、木々の香りが更に美味しさをプラスした贅沢な夕食となった。
つづく