サバイバル教育 2 | オーストラリア移住日記

オーストラリア移住日記

憧れから、移住決行、移住後の生活、起業、子育て、そして今・・・

教員達の只ならぬ叫び声で目が覚めた。

テントから顔を出すと、大粒の雨が激しく顔に当たり、テントの周りが水浸しになっている。

まだ辺りは薄暗かった。

何が起こったのか?今自分達がどういう状況にあるのか?

それが私には何も掴めなかった。

とにかく今まで体験したことの無いような危険が迫っていることだけは雰囲気で理解出来た。

 

リーダーの緊急召集から戻った息子から、川が氾濫し、このキャンプ地にまで水が迫っているため、今から山に登ると聞かされた。

濡れてはいたが、昨夜、着の身着のまま寝たことが逆にラッキーだった。

テントや寝袋を片付け、リュックを背負い指示を待った。

教員達の指示で生徒達が点呼を行い、私達(約50名)は急な山道を登り始めた。

感心している場合ではなかったが、教員や息子達のテキパキとした動きや行動には訓練の成果と言うか日々の教育の徹底が感じられた。

シドニーの校舎で行われる指導ではこうは行くまいと思った。

雨水が滝のように流れ落ちる細い山道を、一列縦隊でひたすら上に向かって登った。

徐々に周囲は明るくなり、所々開けた場所から崖下の川が見下ろせた。

昨日、石伝いに渡ったちょろちょろ流れる小川とは似ても似つかない、荒れ狂う激流だった。

泥流が岩に当たってしぶきを上げ、見ているだけで恐ろしい光景だった。

もし、鉄砲水が我々のキャンプ地を襲っていたら、私達はひとたまりも無かったはずだ。
そんな恐怖を頭の片隅で考えていたが、教員達のリーダーがもうここなら安全と判断出来る地点まで登り続け、小休止となった。

 

リーダーミーティングから戻った息子に、昨晩到着しなかったグループがまだ見つからず、その消息がその時点で分からないままという話を聞いた。

心配だったが、今は自分のことで精一杯だった。

 

小休止終了後も更に登り続け、低い山の頂上付近に到着した。

テントを張って休むよう指示があり、その指示に従ったが、寒くて震えが止まらなかった。

リュックに入っていたチョコレートを食べた。

空腹を満たすことは出来なかったが、かつて日本で暮らしていた頃、チョコレートが遭難から遭難者を救った新聞記事やTVニュースを思い出した。

まさか自分がこのような状況に巻き込まれようとは思いもしなかったが、とにかく寒くて横になる気にはなれず、膝を抱えて震えていた。

 

息子はテントには入らなかった。

どれくらい時間が経ったか記憶に無いが、突然息子が私を呼びに来た。

外に出ると雨が小降りになっていた。

教員達や生徒達が集まっていたが、その中心には火が焚かれ、その火を囲んだみんなの顔に心なしか笑顔が戻っていた。

その火の暖かさを肌に感じた時、大げさでも何でもなく、私は助かったと思った。

もちろん、まだ何の保証も無かったのだが・・・

 

程無くして、山岳救助隊の隊員2名が私達のもとへ到着した。

雨は完全に上がり、木々の隙間からは青空も見え始めていた。

濡れた服は焚火でほぼ乾き、配られたミューズリーバーが実に美味しかった。

テントを片づけ、救助隊の隊員が先頭に立ち、私達もそれに続いた。

本流は見えなかったが、迂回して支流にロープを張りグループ毎に腕を組んで浅瀬を渡った。

山岳救助隊は私達を比較的平らな場所に移動させた。

何かを無線で交信していたが、上空にヘリコプターが現われ、隊員2名がロープで降りてきた。

彼らは山岳救助隊員と短い会話を交わし、私達をヘリコプターで救助すると説明した。

浮き輪のような輪っかを脇の下にしっかり固定され、ベルトも何も着けず引き揚げられたが、正直、身体が今にも抜け落ちてそうで怖かった。

ヘリコプター上の隊員達が何か怒鳴っていたが聞こえなかった。

怖くてステップに足を掛けようとしたが、思い切り足を蹴られた。

隊員は身振り手振りで、足を掛けずに身体を寄せて来いと言っているようだった。

ヘリコプターに乗るのは初めての体験だったが、こんな乗り方で搭乗するのは、これからも一生体験することは無いだろう。

また体験したくないものだ。

搭乗を終え、ベルトを締め、グレンギャリーに向かったが、そのスピードには驚きだった。

15分足らずでグレンギャリーに到着した。

グレンギャリーには学校関係者やTVクルー、新聞の報道陣が集まり、凄いことになっていた。

暖かいスープが配られたが、身体に染み渡るようだった。

 

ホッとしたのもつかの間、悲しいニュースが待っていた。

昨晩到着しなかったグループの一人が激流に飲まれ、5km下流で遺体が発見されたという。

亡くなった彼は、このハイスクールを昨年卒業したばかりのOBだった。

弟のために、忙しい父母の代わりにペアレントハイクに参加していたそうだ。

ハイスクール時代にこの訓練を経験していた彼は、目的地への一番乗りを目指して、地図に載っていないルートを無理やり進もうとしていたようだ。

急に雨が強くなり、結果、道に迷い、トランシーバーも使えない状況で、高台にビバーグ、明るくなり、俺が救助を求めに行ってくると一人川を渡ろうとして激流に飲み込まれたようだ。

マシューというまだ18歳の少年だった。

  

昨晩、テントの中で息子が私に言った。

「絶対大丈夫だよ。道に迷ったら絶対に動くな!っていつも先生は言っているから」

 

サバイバル教育開始から半年後、家に戻った息子は、どこか頼もしくなっていた。